北海道
北海道旅客鉄道 宗谷本線(そうやほんせん)
旭川
ASAHIKAWA
稚内
WAKKANAI
音威子府
おといねっぷ
20119月撮影
筬島
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筬 島
おさしま
音威子府
神路
神 路
かみじ
筬島
佐久
(廃)(信)(仮)
20119月撮影
20119月撮影
佐 久
さ く
筬島
天塩中川
20119月撮影
ホーム北端より、駅全景と上り名寄・音威子府方面を見る。
山奥の小駅といった雰囲気がある。
筬島と佐久を結ぶ林道の佐久側入口。
分岐点には『宗谷線65→』の標識がある。林道は旧神路集落へは通じて
いないが、かつてこの林道から人が歩ける道が通じていたはずである。
地図上では筬島へ完抜しているが、北大中川研究林を縦断する林道のため、
途中にゲートがあるかもしれない。(入林には許可が必要。熊出没多発地帯です)
ここを進むと道はすぐに1車線程度の道幅となる。
駅名  音威子府(おといねっぷ)
駅構造
 単式ホーム11線、島式ホーム12線、
 計23線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
 (音威子府村交通ターミナルとして
  宗谷バス音威子府窓口が併設 )
管理形態
 社員配置。
きっぷうりば

 みどりの窓口(8:4016:40)。
 自動券売機は設置されていないため、
 営業時間外は無人駅扱い。

駅内店舗
 有人店舗 : 駅そば(常盤軒)。
 自動販売機 : 飲料。
  ※名物の『音威子府そば』は、そば殻を
   含めて挽いたそばで、食べるのを躊躇
   するほど黒いが、そばの風味が強く、
   そば好きの方には絶対のオススメで
   ある。常盤軒の他、一路食堂、道の駅
   にても食すことができる。
連絡通路
 構内跨線橋。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 音威子府駅。
乗降人員
 
開業日
 1912年(大正元年)115
  国有鉄道(鉄道院)の音威子府駅
  として開業。
 1922年(大正11年)118日 天塩線開業。
 1989年(平成元年)51日 天北線廃止。
所在地
 北海道中川郡音威子府村
   字音威子府509番地40
備考

 交換設備と構内跨線橋を備える有人駅
 である。
 かつてはJR天北線が乗り入れており、
 島式ホーム22線で、転車台や複数の
 側線・引き込み線を持ち、貨物扱いも行う
 ターミナル駅であった。
 現在は宗谷本線の単独駅になっているが、
 天北線の廃止後、駅舎は交通ターミナル
 として改築され立派な佇まいを見せている。
 
当駅には特急列車を含むすべての定期
 列車が停車し、
下り稚内方面8本/日、
 上り旭川・名寄方面9本/日が発着する。
 
23線のホームは、特急列車のみ
 2番のりばが下り、3番のりばが上りに
 割り当てられているが、普通列車について
 は当駅止まりの列車も設定されており、
 特に決まりはないようだ。
 尚、現役時の天北線は現在の3番のりば
 に発着し、出発後北に進路をとっていた。
 駅舎は線路南側に設置されており、
 駅前広場
を有している。
 また、北口側に出入り口はなく、
 東西自由通路は駅の東側に数100m離れ
 て長い歩道橋が設置されている。
 音威子府村の中心駅であり、周囲は
 小さな市街地となっている。
 村の人口は減少方向にあり、全体で
 1,000人を下回っている。

1990年(平成2年)5月改築の音威子府駅舎。
音威子府村交通ターミナルとなっている。
駅舎に入って右側には、そばの『常盤軒』と『天北線資料室』がある。
『常盤軒』には列車利用者以外にも、そば目的で立ち寄る人が多いようだ。
営業時間は、9;3016;00 水曜定休。 そばの実・皮まで挽いた黒い蕎麦で、
かけそば350円、天ぷらそば450円 他、お土産用そば、おにぎり有り。
待合室内。 ベンチには座布団が置かれ、きれいに管理されている。
床はお決まりの縞鋼板になっている。 ベンチには駅ノートが置かれていた。
ホーム中程より、上り名寄・音威子府方面を見る。
14:02発稚内行き普通列車が到着した。
駅名  筬島(おさしま)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(貨車改造の待合室がある)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。 自動販売機 : なし。
連絡通路
 なし。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 音威子府駅。
乗降人員
 −
開業日
 1922年(大正11年)118
  国有鉄道(鉄道省)の筬島駅として開業。
所在地
 北海道中川郡音威子府村
   大字物満内小字筬島。
備考

 盛土式の単式ホームと貨車を改造した
 待合室を備える無人駅である。
 かつては木造駅舎、相対式ホーム22
 と構内踏切を有し、複数の貨物側線を
 備えた有人駅であった。
 木材輸送の衰退による貨物扱いの廃止
 により、現在の駅形態になったとのことだ。
 
当駅の列車発着は、普通列車のみで
 
下り稚内方面5本/日、
 上り旭川・名寄方面4本/日となっており、
 一部の上り普通列車は通過する。
 ホームは線路西側に設置されており、
 駅前広場を有する。
 駅は山地の谷間を流れる天塩川の谷間
 に開けた小さな平野部分にある。
 駅は天塩川の北側にあり、その対岸を
 国道40号線が並行している。
 駅周囲は小さな集落であるが、民家は
 密集しておらず、まばらである。
 当サイトにて勝手に難読駅に認定する。

貨車(車掌車)を改造した筬島駅待合室。
かつてあった木造駅舎の基礎上に設置されている。
駅名  神路信号場(かみじしんごうじょう)
駅構造
 相対式ホーム22線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 有人。
きっぷうりば

 −

駅内店舗
 有人店舗 : −。 自動販売機 : −。
連絡通路
 −
管轄
 日本国有鉄道 旭川鉄道管理局。
管理
 −
乗降人員
 −
開業日
 1922年(大正11年)118
  国有鉄道(鉄道省)の神路駅として開業。
 1977年(昭和52年)525
  信号場化。
  仮乗降場として旅客扱いは継続。
廃駅日  1985年(昭和60年)314日。
  路線の合理化により、当信号場にての
  列車交換が無くなったため廃止。棒線化。
所在地
 北海道中川郡中川町神路。
備考

 駅は天塩川にペンチクンナイ川が合流
 する地点から線路を1,000m程稚内方面
 に進んだ地点にあり、東を山地、西を
 天塩川に挟まれた山間部に位置した。
 廃止時は列車交換設備を有する信号場
 であった。
 元々は筬島−佐久間の駅間が長いため
 の列車交換を目的とした駅であったが、
 入植者により集落が造られ、小学校も
 あったとのことだ。(1958年に廃校)
 1963年(昭和38年)12月に対岸の国道40
 線へ向かう神路大橋が、完成後わずか
 9ヶ月で突風により落橋したため、
 (吊り橋は風に弱いのです)
 1965年(昭和40年)に全戸撤退の廃集落
 となったが、駅は廃止時まで上下
合わせ
 て2本/日が停車しており、普通列車の
 旅客扱いは行っていたようである。
 廃駅の時点で、駅舎は
線路西側に設置
 されていたが、現在は撤去され基礎部分
 のみ残っているとのことだ。
 神路大橋落橋後、神路駅周辺は無人
 地帯となったため、再架橋はされて
 いない。(橋があった場所すら不明確に
 なっている)
 よって、現在陸路にての交通手段が
 まったくなく、到達は非常に困難である。
 両隣の筬島と佐久を結ぶ林道が数km
 北側を通っているが、集落があった頃も
 林道と集落を繋ぐ車道はなかったようだ。
 ただし、人道はあったものと思われるが
 現在では自然回帰し、消滅しているもの
 と思われる。

佐久駅駅舎。
1990年(平成2年)築の大きな駅舎は『佐久ふるさと伝承館』との合築である。
駅舎左手の庇の部分には『さわやかトイレ』が設置されている。
駅名  佐久(さく)
駅構造
 相対式ホーム22線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
 (佐久ふるさと伝承館との合築)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。 自動販売機 : なし。
連絡通路
 構内踏切。(警報機のみ)
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 音威子府駅。
乗降人員
 
開業日
 1922年(大正11年)118
  国有鉄道(鉄道省)の佐久駅として開業。
所在地
 北海道中川郡中川町大字佐久403番地1
備考

 交換設備を備える無人駅である。
 かつては木材輸送で賑わったようだ。
 現在は側線が1線残っているものの、
 構内には草地が目立っている。
 当駅には普通列車のみが停車し、

 下り稚内方面5本/日、
 上り旭川・名寄方面5本/日が発着する。
 
22線のホームは、駅舎側の1番のりば
 が下り稚内方面、2番のりばが上り旭川
 方面に割り当てられている。
 駅舎は線路西側に設置されており、
 駅前広場
を有している。
 駅東側は生活道路を挟んですぐ山林で
 民家はなく、駅西側200m程を天塩川が
 流れている。
 駅は山と川に挟まれた狭い立地にあり、
 周囲には集落が形成されている。
 郵便局や商店、旅館等があり、小さな町と
 しての景観を有し、かつての繁栄振りが
 伺える。

琴 平
ことひら
佐久
天塩中川
20119月撮影
駅名  琴平(ことひら)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(ホーム脇に待合室があった)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。 自動販売機 : なし。
連絡通路
 なし
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 音威子府駅。
乗降人員
 −
開業日
 1955年(昭和30年)122
  琴平仮乗降場として開業。
 1987年(昭和62年)41
  北海道旅客鉄道に承継と同時に
  琴平駅として常設駅化。
廃駅日  1990年(平成2年)91
  利用者僅少のため廃駅。
所在地
 北海道中川郡中川町字琴平。
備考

 駅は東を山地、西を蛇行する天塩川に
 挟まれた中川町琴平地区にあった。
 詳細な位置は、天塩中川駅前から
 北海道道541号問寒別佐久停車場線を
 南下し琴平川を渡って500m程の地点で、
 付近で唯一の踏切である 『第2問寒別
 佐久停車場踏切』 の20m程北側に位置し、
 駅入口は道道沿いにあった。
 廃止時は車両1両分に満たない
 桁式板張りのホームと小さな待合室を
 備える無人の小駅であった。
 現役当時は駅から少し離れて23軒の
 民家が点在していた。
 駅の廃止時は普通列車のみが停車し、

 下り稚内方面3本/日、上り旭川・名寄
 方面3本/日が発着しており、
 一部の普通列車は通過していた。
 
廃駅の時点で、ホームは線路西側に設置
 されていたが、現在は完全に撤去され
 駅跡の特定が不可能な状態になっている。
 現在旧駅前には牧場が1軒ある。

 北海道道541号問寒別佐久停車場線の
『第2問寒別佐久停車場踏切』より、
下り稚内・天塩中川方面と琴平駅跡全景を見る。
北海道道541号問寒別佐久停車場線にて佐久駅方面を見る。
カーブの先が踏切になる。
左手のヤブのどこかに駅入口があったはずだが、判別不能であった。
駅舎内にてみどりの窓口と改札口(開き戸)を見る。
写っていないが、写真左手奥に宗谷バスの出札窓口がある。
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特急列車停車駅だけあって、跨線橋の通路は広めである。
内壁はリフォームされているが、外壁はかなり年季が入っている。
構内跨線橋より、下り稚内・筬島方面を見る。
特急列車はすべて右手の島式ホームに停車する。
ホーム南寄りから、下り稚内・佐久方面を見る。
すみません! 未訪問です。 その内行ってきます。
ってか、ここ簡単に行けません。
佐久駅から北海道道541号問寒別佐久停車場線を北へ約1.5km
『第1問寒別佐久停車場踏切』の北側に筬島への林道入口がある、
同踏切より、下り稚内・天塩中川方面とホーム跡を見る。
ホームは踏切と線路の左カーブ部との間の左側にあった。
こちらから見ると、手前からホーム、待合室の順に設置されており、
駅入口は線路左手の道路側にあったため、この踏切からホームへの
アクセスはできない構造になっていた。
(ホームのスロープは待合室側にあり、
踏切側にスロープはなかった)
北海道道541号問寒別佐久停車場線にて天塩中川駅方面を見る。
右手の標識柱付近に駅入口があったはずだが、
ヤブ化がひどく判別不能である。
『第2問寒別佐久停車場踏切』より、上り名寄・佐久方面を見る。
踏切注意の標識付近に入口跡らしきヤブの薄い部分があるが、
当時の駅入口かどうか確証がない。
路線廃止(バス転換)のご案内
北海道旅客鉄道 天北線
音威子府 ⇔ 南稚内
JR北海道 宗谷本線 : 音威子府駅筬島駅神路駅(信号場)、佐久駅琴平駅
咲来
咲 来 行
For  SAKKURU
1番のりば南寄りから、上り名寄・咲来方面を見る。
1番のりばは駅舎前から北寄りにずれて設けられている。
2番のりば北寄りから、上り名寄・咲来方面と、1番のりば全景を見る。
1番のりばは車両2両分程度の長さしかなく、普通列車専用となっている。
2番のりばから、駅舎改札口を見る。
改札口は開き戸のみで、ラチは設置されていない。
手前にあるのは駅名標であろうか、音威子府村のキャッチフレーズである
『木の匂いわがふるさと森と匠の村 おといねっぷ』 と記されている。
2番のりば中程(上屋下)より、下り稚内・筬島方面を見る。
上屋先のホーム上には、かつて常盤軒が営業しており、
写真でも店舗の撤去跡が四角く残っているのが見える。
尚、かつての天北線は右手の3番のりばに発着していた。
1番のりば入口脇より、下り稚内・筬島方面を見る。
このホームはかつて島式ホームであり、筬島方面から正面のクルマの轍が
見えるあたりまで線路が敷設されており、そこに車止めが設置されていた。
宗谷本線内では数少ない吊り下げ式駅名標。
内照式でないものは珍しい。
ホーム北端りから、下り稚内・佐久方面を見る。
左手の草地には、かつての交換設備の路盤跡である。
ホーム北端付近より、上り名寄・音威子府方面を見る。
このホームの先には、かつて貨物ホームと側線があり、
線路右手には相対式ホームがあった。
駅前の様子。 民家はまばらである。
オレンジ色のフェンスのある所が地区のメインストリートで、
左へ筬島橋を渡って国道40号線へ、右へは佐久方面へ頓別坊川沿いに
北大中川研究林を行く林道となる。
上の写真のオレンジ色フェンスの脇に建っている国鉄時代の駅名標。
駅への案内標識のように、道路に面して建っている。
駅舎内の様子。
地元の方々から寄贈された昔の農具や民具が展示され、
壁にはかつての木材運搬の様子が描かれている。
1番のりば南端より、下り稚内・天塩中川方面を見る。
かつては急行列車の停車駅であり、長いホームを有したようだ。
1番のりば北端より、上り名寄・筬島方面を見る。
1番のりば南端付近より、上り名寄・筬島方面を見る。
正面の構内踏切は線路の部分のみ敷き板があるもので、
遮断機が無く警報機があるのみの第3種踏切である。
『佐久駅旅客通路踏切』と標されている。
1番のりば北端付近より、下り稚内・天塩中川方面を見る。
駅前の様子。
駅舎前から写真中央の道路案内標識がある所までが、
北海道道218号板谷佐久停車場線と北海道道541号問寒別佐久停車場線の
重複道道になっている。(標識を左へ道道218号線、右へ道道541号線)
尚、交差点角右手の赤い屋根の建物は、大正9年築の旧佐久郵便局だそうだ。
駅前の交差点より南側(道道218号線)を見る。
この先を右折し、佐久橋を渡ると国道40号線に出られる。
右手に旅館があり、撮影立ち位置後方には商店と郵便局がある。
2番のりば中程より、下り稚内・天塩中川方面を見る。
ホーム東側には側線が1線残されている。
ホームの路肩は崩れているが、旧3番のりばであろうか?
当駅と筬島駅との間にあった神路信号場(旅客扱い有り)は
1985年(昭和60年)314日に廃止。
また、当駅と天塩中川駅との間にあった琴平駅
1990年(平成2年)91日に廃止となっている。
当駅と佐久駅との間にあった神路信号場(旅客扱い有り)は
1985年(昭和60年)314日に廃止された。
(廃)