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駅名 |
長野原草津口(ながのはらくさつぐち) |
駅構造
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盛土式島ホーム1面2線の地上駅。 |
駅舎
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構内南側にS造の地上駅舎。 |
駅前広場 |
ロータリーあり。
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管理形態
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社員配置。 |
きっぷ
うりば
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出札窓口
: なし。
券売機 : 指定席券売機(1台)、自動券売機(1台)。 |
改札 |
簡易Suica改札機。(ICカード対応駅)
有人改札口。 |
トイレ |
あり。(改札外) |
駅内店舗
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有人店舗
: なし。
自動販売機 : 飲料(改札内) |
連絡通路
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構内通路。
南北自由通路。(人道橋) |
乗車人員 |
465人/日(2020年度平均)
741人/日(2019年度平均)
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管轄
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東日本旅客鉄道 高崎支社。 |
所属路線 |
吾妻線。 |
管理
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長野原草津口駅。 |
発着列車 |
下り
大前方面 17本/日 (2番のりば)
上り 渋川方面 10本/日 (1,2番のりば)
特急「草津」および普通列車が停車する。 |
主な歴史 |
1945年(昭和20年)1月2日
国有鉄道(運輸通信省鉄道総局)長野原線の
長野原駅として開業。 貨物駅。
1946年(昭和21年)4月20日
旅客営業を開始。一般駅化。
1954年(昭和29年)6月21日
太子支線が旅客営業を開始。
1970年(昭和45年)11月1日
太子支線の営業を休止。
1971年(昭和46年)3月7日
路線名変更により、吾妻線の所属駅となる。
1971年(昭和46年)5月1日
太子支線廃止。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄分割民営化によりJR東日本の所属駅となる。
1991年(平成3年)12月1日
長野原草津口駅に改称。
2013年(平成25年)8月1日
新駅舎が供用開始。
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所在地
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群馬県吾妻郡長野原町大字長野原1276。
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接続バス |
【長野原草津口駅】バス停留所
場所 : 駅前ロータリー。
運行 : JRバス関東
・高速バス 上州めぐり号、東京めぐり号
・志賀草津高原線
運行 : 草軽交通
・北軽井沢⇔長野原草津口
運行 : 中之条町営バス(六合地区路線バス)
・野反湖⇔長野原草津口
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駅周囲
その他 |
草津温泉の最寄り駅となっており、駅前よりJRバスの
便がある。(運賃は大人710円・交通系ICカード可)
駅東側の八ッ場ダム建設に伴い、長野原町役場や
周辺施設の移転等が発生しており、現在の駅周辺は
水没地域の代替地として開発段階にあり、住宅や
店舗は少ない。
長野原町の中心駅であり、町役場は駅の南(吾妻川
対岸)600m程に位置する。
かつての町役場は、隣の群馬大津駅との中間付近の
長野原町大字長野原66-3 にあったが、2018年
(平成30年)12月25日に、現在の場所に移転となった。
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長野原草津口駅
駅舎。
2階建ての大きな駅舎を有するが、太子線が発着していた当時は
改称前の 『長野原駅』 あり、駅舎は改築前で現駅舎の右手(東側)
にあり、改札口は3F建て駅舎の2F部分にあった。 |
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現在の駅舎出入口の様子。
出入口は左手、正面は情報観光コーナー(待合室)となっている。
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現在の上り1番のりばより、下り万座・鹿沢口方面を見る。
太子支線が旅客営業を行っていた当時は、
まだ当駅(現長野原草津口)-大前間が開業しておらず、
列車は、(高崎)渋川-長野原-太子間にて運行しており、
列車は写真前方の太子に向かって発車していた。
当駅-大前駅の延伸開業は、太子支線休止(1970年11月)後の
1971年(昭和46年)3月7日となっている。
太子支線が営業していた当時の駅舎は、写真の車止め先左手にあり、
2Fの改札口から当ホームへは跨線橋が架橋されていた。
また、1番線(下り本線)に車止めが設けられ、
改札口が1Fに移転したのは、太子支線廃止の40年後、
2011年(平成23年)6月25日のことである。 |
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2022年10月
撮影 |
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吾妻線北側の一般道にて、下り万座・鹿沢口方面を見る。
長野原草津口駅は撮影立ち位置後方になる。
長野原草津口-大前間の開業前は、道路のガードレールに沿って
右へカーブするように太子方面へ線路が敷設されていた。
1975年(昭和50年)撮影の航空写真では、この道路に沿って敷設された
太子方面への線路が確認出来る。
太子支線廃止前には、大前方面への延伸工事が行われており、
この撮影場所付近に分岐が設けられていたと思われる。
正面の橋は、八ッ場ダム建設により付け替えとなった、
群馬県道365号板倉籾谷館林線の 『長野原諏訪大橋』 で、
2017年(平成29年)3月竣功、同年6月24日に供用開始されている。
工事中の仮名は 『白砂川橋』。 |
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左の写真の先、『長野原諏訪大橋』
下付近より、長野原駅方向を見る。
太子支線は正面に延びる道路の右側に沿って、電柱右側付近を通り
撮影立ち位置後方の太子駅方面へ延びていた。
右手の橋は、白砂川を渡河する 現吾妻線の 『須川橋梁』 で、
銘板によると、設計は日本鉄道建設公団東京支社、
設計荷重は 『KS-14』 と刻まれている。
着工 昭和44年(1969年)7月7日、竣功
昭和45年(1970年)8月10日とあり
太子支線廃止前より工事が行われていたことが窺える。
写真左端にクルマが見える所が、国道292号線である。 |
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『橋場墓地公園』 の駐車場より、太子支線の 『白砂川橋梁』 を見る。 |
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国道292号線にて、吾妻線の万座・鹿沢口、大前方面を見る。
左手の プレートガーダー + トラス橋が、吾妻線 『須川橋梁』。
それをオーバーパスしているのが、 群馬県道365号板倉籾谷館林線の
『長野原諏訪大橋』 である。 写真右手には 『橋場墓地公園』 があり
墓地からは太子支線の遺構である 『白砂川橋梁』 を見ることができる。 |
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『橋場墓地公園』
より、太子支線の 『白砂川橋梁』 を見る。
橋の形式は上路式プレートガーダーであるが、
途中に橋脚がないため、ずいぶん支間が長く見える。 |
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2022年10月
撮影 |
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駅名 |
太子(おおし) |
駅構造
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盛土式島ホーム1面2線の地上駅。 |
駅舎
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構内北側に木造の地上駅舎。 |
駅前広場 |
あり。
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管理形態
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無人。 |
きっぷ
うりば
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出札窓口
: 閉鎖。
券売機 : なし。 |
改札 |
− |
トイレ |
あり。(駅舎北側に別棟) |
駅内店舗
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有人店舗
: −
自動販売機 : − |
連絡通路
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なし。 |
乗車人員 |
−
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管轄
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日本国有鉄道 高崎鉄道管理局。 |
所属路線 |
吾妻線。 |
管理
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太子駅。 |
発着列車 |
下り
渋川より到着 4本/日 (7:40、9:45、14:09、16:36)
上り 渋川行き 4本/日 (8:15、10:52、15:42、17:29)
普通列車が停車する。(上記時刻は開業時のもの) |
主な歴史 |
1945年(昭和20年)1月2日
日本鋼管鉱業 群馬鉄山専用線・太子線の太子駅
として開業。
同時に 国有鉄道(運輸通信省鉄道総局)長野原線の
渋川駅-長野原駅間開業。
1952年(昭和27年)10月1日
日本鋼管専用線が日本国有鉄道に移管。
同時に長野原駅-当駅間が貨物支線となり、
国鉄の所属駅となる。 車扱貨物の営業開始。
1954年(昭和29年)6月21日
旅客営業を開始。
初代駅長は市城駅長(児玉武雄氏)が兼任。
1966年(昭和41年)10月1日
長野原駅-当駅間の貨物運輸営業廃止。
1967年(昭和42年)11月1日
無人駅化。
1970年(昭和45年)11月1日
太子支線の鉄道運輸営業を休止。
1971年(昭和46年)3月7日
路線名変更により、吾妻線の所属駅となる。
1971年(昭和46年)5月1日
太子支線廃止により廃駅。
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所在地
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群馬県吾妻郡六合村大字太子。
(現在は吾妻郡中之条町大字太子)
北緯36度35分11秒、東経138度37分28.5秒
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接続バス |
【旧太子駅】停留所(現在)
場所 : 駅跡の南約300m。 R292沿い。
運行 : ローズクイーンバス(中之条町営)
・長野原草津口〜野反湖
【太子】停留所(当時)
場所 : 駅跡の北約450m。 R292沿いに現在の
太子停留所があるが、当時と同位置かは不明。
運行 : 国鉄バス
・花敷線
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駅周囲
その他 |
1975年(昭和50年)撮影の航空写真には、
太子駅北側すぐの太子の小集落、南へ1.2km程の
六合村赤岩および日陰集落、北へ1.6km程離れた
六合村小雨集落が見られる。
(当時は集落ではなく部落と称していた)
六合村(くにむら)の村役場は小雨集落にあった。
(旧村役場は現中之条町六合支所となっている)、
当駅は六合村の中心駅であり、奥吾妻開発の拠点
として期待されたが、1966年(昭和41年)3月の
群馬鉄山閉山により衰退、廃止に至っている。
鉄鉱石輸送の最盛期には、駅前に旅館や食堂などが
あり、賑わったとのこと。
尚、駅があった群馬県吾妻郡六合村は、長野県や
新潟県に境を接する山深い地域にある。
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リニューアルされた
旧太子駅駅舎(左)と旧トイレ(右)。
太子駅廃止後、駅跡は公園として整備されていたが、
駅の遺構が多数残っていることから、中之条町により
復元・修復が決定し、2018年(平成30年)4月より
新たな資料館(展示施設)として一般公開されている。
駅舎は現役時のものを復元して建造されており、
内部は当時の資料やアイテム、写真等が展示されている。
また、右手のトイレも現役時を模しているが、乳幼児室に変わっている。 |
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施設の名称は、『旧太子駅』。
中之条町が運営しており、一般200円、町民と中学生以下は入場無料。
アクセスは、長野原草津口駅よりバスの便があるが、1日4往復と
本数は少ない。 足は自動車が便利で巨大な無料駐車場がある。
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『旧太子駅』出入口より、駅舎内部を見る。
正面に出札窓口を模した入場券販売所兼改札口がある。 |
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『旧太子駅』
入場券。
硬券入場券ではないが、購入すると入鋏してくれ、なんか嬉しい。
右側に当時の乗車券が営業最終日と共にデザインされている。
長野原-川原湯間が40円とある。(現在は190円)
左側の写真は現在の 『六合ヘリポート』 付近より駅全景を
撮影したもので、構内の様子がよくわかる。
旅客用島式ホーム右側(駅舎側)が1番線、左側が2番線、
2番線と左手のホッパの間に機廻し線が見える。
入場券には、「Around 1945」とあるが、機廻し線からホッパへの
振り分け分岐器には並まくらぎが5本置かれており、
既にホッパの稼働が停止している時期の写真と思われる。
(営業最終日頃の写真か) |
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入場券販売所脇に掲げられた運賃表。
小さくて見にくいが、右上に 「44.5.10」 とある。
国鉄バスの運賃も併記されており、営業末期の貴重な資料となっている。 |
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当時使われた、列車の「サボ」
が数点展示されている他、
博物館級の貴重な資料が多数展示されている。 |
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駅跡構内より駅舎と線路終端を見る。
右手の貨物側線2線の車止めは当時からの物である。
鉱山から当駅への鉄鉱石は、駅の北北西(草津温泉の北側)にある
『群馬鉄山』 という鉱山から、ほぼ直線的に8km程の索道(荷物用の
ロープウェイ)によって運ばれており、写真の駅舎のポーチ部分には
索道で使用された鉄製の錆びた搬器が2器展示されている。
(すみません! 搬器の写真撮影を失念しました)
当施設では、ホッパや車両ばかりが目立つため、地味で軽視
されがちな展示物であるが、大変貴重な産業遺産である。
尚、1966年(昭和41年)3月に閉山した『群馬鉄山』
は、
現在、国指定天然記念物の 『チャツボミゴケ公園』 となっている。 |
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構内にて、上り長野原方向を見る。(駅舎は撮影立ち位置後方)
当構内は廃駅後部分的に土砂で埋められ、遊具が置かれる公園と
なっていたが、中之条町の”町おこし”として整備され現在に至っている。 |
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構内南側(長野原寄り)から、線路終端方向(駅舎方向)を見る。
発掘した線路やホームは人の手が入り、ホッパも修復されているが、
その2・3階部分は解体され残念ながら存在しない。
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旧貨物側線に展示されているアント車両移動機、『ANT15-W型』。
1983年(昭和58年)3月
アント工業(株)製で、
富士重工業(現SUBARU)製ロビンエンジン
(EY-21型2気筒618cc水平対向空冷エンジン)を搭載している。
貴重な車両であり、テント下に置かれている。
当構内で使用された物かは不明。 |
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ホッパ棟北端より、上り長野原方向を見る。
老朽化が進んでおり、現在内部は立入禁止となっている。
当施設(ホッパ)は、『群馬鉄山』からの鉄鉱石を貨車(ホッパ車)に
積込・出荷まで貯蔵しておく貯石槽および機械設備である。
早い話、鉄鉱石が天井の穴から貨車に降ってくる設備である。
2021年(令和3年)2月4日、『旧太子駅ホッパー棟』として、
国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。
所在地は、群馬県吾妻郡中之条町大字太子字花園240-3。
ホッパ棟の長さは96m。 |
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復元駅名標は、当施設が出来る前の公園の時代に
設置されている。(2013年に設置とのこと)
展示の貨車等は、太子線で走っていたものではなく、大井川鉄道や
ひたちなか海浜鉄道、静岡鉄道などから譲渡された車両である。
「当時の雰囲気が少しでも出れば」との思いからとのこと。 |
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駐車場から旧太子駅へ向かう階段から、ホッパ棟を見る。 |
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