駅のある風景 西日本旅客鉄道 越美北線 C : 北大野駅、越前大野駅、越前田野駅、越前富田駅、下唯野駅 | ||||||||
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2022年8月 撮影 |
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北大野駅出入口。 ホーム上の出入口脇に待合室があり、待合室下は駐輪場になっている。 |
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待合室内の様子。 大きな待合室であるが、開業以来の利用者数(平均乗車人員)は 40人/日を越えたことがないようだ。 |
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ホーム東端(越前大野寄り)から、上り福井方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム東端(越前大野寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム中程の待合室前より、上り福井方面を見る。 ホームには昔ながらの白線(タイルを点線状に埋め込んだもの)が残る。 |
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ホームの駅出入口階段前より、待合室と下り九頭竜湖方面を見る。 各方面のりばは、待合室前に集約されている。 |
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ホーム西端(牛ヶ原寄り)から、上り福井方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム西端(牛ヶ原寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
建植式駅名標。 当駅は、越美北線開業後に出来た新駅であり、 駅名は、越前”大野”駅 の北方に出来たことから。 駅開業前の当地は、1954年7月の合併により大野市となるまでは 福井県大野郡下庄(しもしょう)町中野であり、 それ以前の1951年までは大野郡下庄村中野であった。 下庄村役場は駅の南950m程にあり、現在は下庄公民館となって、 その場所を継承している。 更に下庄村誕生以前の1889年(明治22年)までは、 当地は、大野郡中野村と称していた。 現在も地名に残る”中野”を駅名に採用しなかったのは、 中央本線の中野駅(東京都 : 1889年4月開業)があったからであろうか。 |
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ホームの駅出入口階段前より、駅前広場を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅前広場西端より、東側(越後大野方面)を見る。 現在、駅周囲には住宅も多いが、1975年(昭和50年)10月撮影の 航空写真には、田園地帯の中に駅のみがポツンと写っている。 |
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駅前より南へ延びる駅前通り。 大野市の市街地へ続いている。 道路両側は住宅と田畑であり、商店はしばらくないようだ。 |
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2022年8月 撮影 |
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越前大野駅舎の玄関前のスペースに建てられた
『やすらぎ空間』。 この後方に本来の駅舎があるが、まとめて”駅舎”と呼んで良いであろう。 |
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駅前ロータリーに向かって右側(南側)から駅舎を見る。 写真左端が駅前ロータリー、中央が木造の『やすらぎ空間』、 右側が開業時からのRC造の駅舎で、こちら側はトイレが設置されている。 |
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駅舎玄関前の通路。 中央の通路に対して、天井と左側が駅舎、 右側が2003年(平成15年)に建てられた 『やすらぎ空間』 である。 |
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駅舎内の様子。 ”みどりの窓口”は 2022年(令和4年)3月に廃止され、 有人の ”きっぷうりば”は閉鎖。 代替として ”みどりの券売機プラス” が設置された。 この券売機はオペレーターによる通話対応が可能であり、 これにより検索にかからない複雑な経路の乗車券など、 ”みどりの券売機” では取り扱えなかった 乗車券の購入、払い戻しなどが可能となっている。 |
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ホーム出入口より、構内踏切と駅舎を見る。
右手が上り福井方面、左手が下り九頭竜湖方面となる。 列車は主に撮影立ち位置後方の2番のりばに発着し、当踏切を通過する 列車は、19:18発(九頭竜湖18:35発)上り福井行列車のみとなっている。 |
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構内踏切にて、ホーム全景と上り福井方面を見る。 構内左手に腕木式信号機が見える。 |
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1番のりば南端(越前田野寄り)から、 構内踏切と下り九頭竜湖方面を見る。 ホーム先に見える祠のような建造物は鐘撞き堂で、列車運行や 乗客の安全を祈願し建立され 『安全の鐘』 と命名されている。 |
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移設された腕木式信号機と信号梃子。(当駅構内のものと思われる) 傍らの看板には以下のように記述されている。 単線特殊自動閉そく完成記念 JR金沢支社 最後の腕木式信号機 1993.10.1 越前大野鉄道部 2008年5月31日まで当駅には越美北線全線の運営・管理を行う 越前大野鉄道部が置かれていた。 翌日の組織改正施行により 同鉄道部は福井地域鉄道部に統合される形で廃止されている。 |
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2番のりば中程の待合所付近より、下り九頭竜湖方面を見る。 ほとんどの列車が当のりばに発着するため、待合所のベンチも 2番のりば側を向いており、背面の1番のりば側は壁になっている。 |
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2番のりば南端(越前田野寄り)から、上り福井方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1番のりば北端(北大野寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2番のりば北端(北大野寄り)から、上り福井方面を見る。 前方は越前大野鉄道部時代の車両基地である。 (現在の越美北線の車両基地は、福井地域鉄道部福井運転センター) 左手の側線には レール用緊締装置を付けたチキ7000形が留置されている。 その左手の生垣部分の奥はかつては貨物側線や貨物積み卸し場が あった場所である。 当駅の貨物輸送は、大野市で生産された米をはじめ、 木材、農業用肥料、和泉村(当時)の中竜鉱山の鉱石などを扱ってていが、 合理化のため1982年(昭和57年)11月15日に廃止された。 跡地は無料の市営駐車場になっている。 |
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建植式駅名標。 駅名は、地名(町名)の”大野”からで、”越前”を冠したのは、 常磐線の大野駅 (福島県 : 1904年11月開業) が既に存在したため。 現在の駅所在である”大野市弥生町”は、駅開業後の 1966年(昭和41年)10月1日に、 日ノ出町の全部、日ノ出、神明、 神明上の各一部が統合され、1966年(昭和41年)10月1日に 新たに出来た町名である。(広報:市政大野148号より) 駅開業前の当地は、1954年7月の合併により大野市となるまでは 福井県大野郡大野町であり、町役場は現在の大野市役所が その場所を継承している。 尚”大野”の地名は、広々した原野から。 |
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駅前ロータリー角にある【街角広場】という緑地小公園から駅舎を見る。 写っていないが、駅舎脇(左手)に清水広場(湧水所があり、 神社の手水舎のようになっている)とバス待合所がある。 |
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駅舎前より、駅前ロータリーを見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅前ロータリー左手(北側)にある
『駅前広場バス待合所』。 ”天空の城 越前大野城” をモチーフにしているのだろうか。 |
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2022年8月 撮影 |
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駅出入口のある 『動堂踏切』 にて、駅全景と下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
線路脇の小径にて、待合室を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
待合室内の様子。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム西端(越前大野寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 田園地帯が広がっており、駅に隣接して民家はない。 |
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ホーム西端(越前大野寄り)から、上り福井方面を見る。 ホーム先の踏切は 『動堂踏切』 で、当駅の構内踏切扱いとなっている。 ホームおよび駐輪場の出入口が踏切内にあり、 通路が線路から少し離れているとはいえ、危険な駅構造である。 |
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ホーム中程の上り福井方面乗車口前より、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム中程の待合室前付近より、上り福井方面を見る。 線路右手は墓地となっている。 |
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ホーム東端(越前富田寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 200m程先で線路をオーバーパスしているのは、” 中部縦貫自動車道 大野油坂道路” で訪問時は工事中(未開通)であった。 |
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ホーム東端(越前富田寄り)から、上り福井方面を見る。 正面に見える山は 標高884.3mの 『降山』で、 福井市最高峰の山となっている。 |
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建植式駅名標。 駅名は、地名の”田野”からで、”越前”を冠したのは、 日豊本線の田野駅 (宮崎県 : 1916年10月開業) が既に存在したため。 駅開業前の当地は、1954年7月の合併により大野市となるまでは 福井県大野郡富田村田野であった。 尚”田野”の地名は、 ”割合狭く、凹凸のある山腹の緩やかな所” からとのこと。 |
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駅が接する
『福井県道170号五条方下荒井(ごじょうほうしもあらい)線』 にて、北側を見る。 駅は右手。 |
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駅が接する
『福井県道170号五条方下荒井線』 にて、南側を見る。 駅は右手。 正面に田野の集落が見える。 |
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2022年8月 撮影 |
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駅北側を並行する市道より、50m程の短い駅前通りと 駅出入口方向を見る。 正面の高架橋は、福井県道171号五条方松原出勝山線の 『富田跨線橋』 で、1995年(平成7年)3月に竣功している。 |
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福井県道171号五条方松原出勝山線の 『富田跨線橋』 下から、駅方向を見る。 |
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線路南側より、ホーム全景と下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム上の待合室内の様子。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム西端(越前田野寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 撮影立ち位置後方が駅出入口である。 |
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ホーム西端(越前田野寄り)から、駅出入口と上り福井方面を見る。 線路左手の跨線橋下に舗装された小径が見える。 踏切はないが、駅へのアクセス路として使われていると思われる。 1975年(昭和50年)撮影の航空写真にこの小径は写っておらず、 『富田跨線橋』 完成時に付けられたものと推察する。 |
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ホーム中程より、待合室と下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム中程より、上り福井方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
待合室裏の駅出入口。 福井県道171号五条方松原出勝山線の 『富田跨線橋』 の上り口と、 駅とを結ぶ連絡階段が設けられている。 駅から階段へは藪になっており、利用者は殆どいないのであろう。 |
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ホーム西端(下唯野寄り)から、上り福井方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム西端(下唯野寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 100m程先の線路左手に見える白壁の建物は、JA福井の倉庫で、 壁面には、『大野市農協 農業倉庫』 と書かれている。 かつては当駅より農業倉庫へ専用線が延びていたようであるが、 駅構内の配線や本線との渡り線など、詳細な資料が手元になく 不明点が多い。 また、山内木材チップ専用線が存在したとの 情報もあるが、こちらも資料が乏しく詳細不明である。 |
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福井県道171号五条方松原出勝山線の
『富田跨線橋』 と駅とを結ぶ 連絡階段下の様子。 法面および周囲には防草シートが施工されているが、 たくましい雑草が生えまくっている。 |
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建植式駅名標。 開業時の駅の所在は大野市上野であり、駅開業前の当地は、 大野郡富田村上野であった。 上野は1889年(明治22年)4月に 合併により富田村になる以前の上野村の名残である。 駅名は、地名の”上野”ではなく、旧村名の”富田”が採用されている。 ”越前”を冠したのは、関西本線の富田駅(三重県:1894年7月開業)が 既に存在したため。 (開業時には、読みは異なるが とみた・とんだ等、複数の富田駅が存在した) |
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福井県道171号五条方松原出勝山線
『富田跨線橋』 下の 駅出入口付近から、50m程の短い駅前通りを見る。 |
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駅前の市道にて、越前田野方面(福井方面)を見る。 写真中央の大きな建物は、”福井ツバメ商事(株) 奥越ガスセンター” で 駅はガスセンター前を左へ。 写真左端に小さく四阿(あずまや)が見える。 詳細は下の写真で。 |
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駅前の市道にて、下唯野方面(九頭竜湖方面)を見る。 駅はガスセンターの向こう側を右へ。 |
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駅前通り西側(富田公民館東側)に造られた 庭園風の 『ホタルの里ほのぼの広場』。 大野市による、池を主体としたビオトープ(生物の生息空間)である。 奥に見える四阿は2010年(平成22年)に建てられている。 |
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駅西側(富田小学校東側)にある『富田公民館』。 旧富田村役場である。 |
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2022年8月 撮影 |
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福井県道239号上唯野西屋勝山線にて、『下唯野踏切』
を南側から見る。 踏切奥に下唯野駅のホームが見える。 |
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『下唯野踏切』 北側にある駅出入口の様子。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅対面の市道より、ホーム上の待合室を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
待合室内の様子。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『下唯野踏切』 より、駅全景と下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム西側(越前富田寄り)の駅出入口より、下唯野集落方向を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅西端(越前富田寄り)の出入口前より、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム中程より、上り福井方面を見る。 ホーム端右手に駅出入口がある。 ホーム先の 『下唯野踏切』 左手の坂を上がると、 600m程で国道158号線に出る。 |
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ホーム中程の下り九頭竜湖方面のりば前より、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム東端(柿ヶ島寄り)から、上り福井方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム東端(柿ヶ島寄り)から、下り九頭竜湖方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
建植式駅名標。 駅名は、地名の”下唯野”から命名されている。 駅開業前の当地は、1954年7月の合併により大野市となるまでは 福井県大野郡富田村下唯野であった。 尚、1889年(明治22年)4月の町村制施行までの当地は、 大野郡下唯野村であった。 下唯野の地名は、 真名川の下流(下)にある共同耕作地(唯野)からとのこと。 |
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線路脇に出没するニホンザル。 この付近は標高1184mの小荒島岳の北西端麓にあたるため 野猿の群が駅や民家近くまで出没するようだ。 |
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