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| 2010年8月 撮影 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 越後大島駅には古い木造駅舎があったが、 2006年(平成18年)9月に現在の駅舎に改築されている。 |
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| 待合室内はきれいに管理されているが、机が置いてあるのは何故だろう? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ホーム西端(坂町寄り)から、上り米沢方面を見る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ホーム西端(坂町寄り)から、下り坂町方面を見る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ホーム中程より、上り米沢方面を見る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ホーム中程より、下り坂町方面を見る。
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| ホーム東寄り(越後下関寄り)から、上り米沢方面を見る。
右手の側線は現在坂町方に分岐のある横取り線となっており、 保線車両先で車止めされている。 |
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| ホーム東端(越後下関寄り)から、下り坂町方面を見る。 左手に長さの短いホームが残り、ホーム上にコンクリート製の建造物跡がある。 当路線にはかつて急行列車が走っており、当駅は通過駅であった関係で、 旅客用ホームではなく、通過列車用のタブレット収受台が設置されていたと推察する。 |
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| ホーム東端(越後下関寄り)から、上り米沢方面を見る。 ホーム先の草地は旧貨物側線の路盤である。 草に埋もれて見えにくいが、左手の駐輪場前に貨物ホームが残っている。 |
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| 駅東側にある 『土沢街道踏切』 より、ホームと下り坂町方面を見る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 建植型駅名標。 開業時の地名は 『岩船郡関谷村大字土沢』 である。 1931年(昭和6年)8月に関谷村に開業した駅は当駅と越後下関駅であるため、 駅名は村名ではなく字名の 『土沢駅』 となったはずであるが、 駅の立地が 『土沢地区』 と 『大島地区』 の境界付近にあり、駅前すぐが 『大島地区』 (大字大島) であったことより、地域の希望もあって 『大島駅』 と命名されたようである。 尚、字名である岩船郡の 『土沢』、『大島』 は1889年(明治22年)4月の町村制施行に伴い 『関村』 に合併されて消滅した 『土沢村』、『大島村』 の村名が残ったものである。 また 『関村』 は、1901年(明治34年)11月に岩船郡七箇谷村、九箇谷村と合併し、 『関谷村』 となり 1954年(昭和29年)8月に更に岩船郡女川村と合併、 『関川町』 となって消滅している。 駅名に 『越後』 を冠したのは他に複数存在した 『大島駅』 との混同を避けるためであろうか。 |
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| 駅舎ホーム側出入口。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 駅舎前より北側を見る。
メインストリートは国道290号線である。 駐車している軽トラックの先から、遠くに見える青い道路案内板のあたりまでが 大島集落の中心である。 1948年(1948年)4月の米軍撮影の航空写真には、駅前に数軒の小集落 (土沢地区の一部)があり、田畑を挟んで400m程先の荒川沿岸付近まで 大島地区の大きな集落が写っている。 |
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| 駅東側にある
『土沢街道踏切』 より、上り米沢方面を見る。 見事な田園風景が広がっている。 |
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