北海道
北海道旅客鉄道 宗谷本線(そうやほんせん)
旭川
ASAHIKAWA
稚内
WAKKANAI
兜 沼
かぶとぬま
20119月撮影
勇知
  HOME 駅のある風景 北海道宗谷本線(駅一覧) > 宗谷本線 K
勇 知
ゆうち
兜沼
抜海
抜 海
ばっかい
勇知
南稚内
20119月撮影
20119月撮影
南稚内
みなみわっかない
抜海
稚内
20119月撮影
ホーム北端より、上り名寄・兜沼方面を見る。
この周辺の駅では珍しく、ホーム後方に住宅が多数見える。
待合室内の様子。
白壁に赤の部分塗装が式典の紅白幕のようだ。
出札窓口、手荷物窓口は閉鎖されている。
尚、撮影立ち位置後方に4人掛けベンチが置かれている。
駅舎ホーム側の風除室。
歴史を感じる空間である。
駅名  兜沼(かぶとぬま)
駅構造
 相対式ホーム22線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。 自動販売機 : なし。
連絡通路
 構内踏切。(警報機:有り、遮断機:なし)
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 稚内駅。
乗降人員
 
開業日
 1924年(大正13年)625
  国有鉄道(鉄道省)の兜沼駅として開業。
所在地
 北海道天塩郡豊富町兜沼。
備考

 交換設備と遮断機のない構内踏切を
 有する無人駅である。
 無人駅用に設計された駅舎を有し、旅客は
 待合室と駅舎のホーム側に扉がある
 トイレのみ利用可能になっている。
 かつては23線と貨物側線を有する
 有人駅であった。
 当駅には普通列車のみが停車し、
 
下り稚内方面5本/日、
 上り旭川・名寄方面5本/日が発着する。
 22線のホームは、基本的に駅舎側の
 1番のりばが上り旭川・名寄方面、
 2番のりばが下り稚内・幌延方面に割り当て
 られている。
 駅舎は線路北側に設置されており、
 駅前広場を有している。
 駅北側には集落が形成されており、町立の
 兜沼へき地保育所、兜沼小中学校や兜沼
 郵便局等がある。
 また、駅南側はすぐ周囲7km程の兜沼で、
 キャンプ場やサイクリングロード等を有する
 自然公園になっている。

兜沼駅駅舎。
無人駅専用の駅舎で、待合室とトイレの機能のみ有している。
(建物の半分は詰所のようだ。)  個性的な屋根が印象的である。
2番のりば構内踏切より、上り名寄・徳満方面を見る。
待合室内の様子。
利用者が多いためか、両サイドにベンチが置かれている。
ホーム南端より、上り名寄・兜沼方面を見る。
ホーム先のヤブはかつての貨物積卸場跡である。
駅名  勇知(ゆうち)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(貨車改造の待合室がある)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。 自動販売機 : なし。
連絡通路
 なし。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 稚内駅。
乗降人員
 −
開業日
 1924年(大正13年)625
  国有鉄道(鉄道省)の勇知駅として開業。
 1934年(昭和9年)
  簡易軌道勇知線 開業。
 1957年(昭和32年)
  簡易軌道勇知線 廃止。
所在地
 北海道稚内市大字抜海村字上勇知。
備考

 盛土式の単式ホームと貨車を改造した
 待合室を備える無人駅である。
 待合室内にはトイレが設置されている。
 駐輪場はない。
 (駅前に勝手に止めるのだろう)
 かつては木造駅舎と相対式ホーム22線、
 構内踏切を有し、貨物側線、貨物積卸場を
 備えた有人駅であった。
 また、駅西側(と思われる)から、延長9.8km
 
の簡易軌道・勇知線が分岐していた。
 勇知線は馬車軌道で、駅西側を流れる
 勇知川沿い(道道811号勇知上勇知線
 沿い)に、海に近い下勇知まで開通して
 いたが、途中の停車場等の有無は不明
 である。
 (勇知線についてはあまり詳細な資料が
 残っていないようだ)
 
当駅の列車発着は、普通列車のみで
 
下り稚内方面5本/日、
 上り旭川・名寄方面5本/日となっている。
 ホームは線路東側に設置されており、
 駅前広場を有している。
 駅東側には北海道道510号抜海兜沼停車
 場線が並行しており、道道に沿って集落が
 形成されている。

貨車(車掌車)を改造した勇知駅待合室。
旧木造駅舎の基礎の片隅に置かれている。 外壁はサビが目立っている。
駅名  抜海(ばっかい)
駅構造
 相対式ホーム22線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。(出札窓口は閉鎖されている)

駅内店舗
 有人店舗 : なし。 自動販売機 : なし。
連絡通路
 構内踏切。(警報機:有り、遮断機:なし)
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 稚内駅。
乗降人員
 
開業日
 1924年(大正13年)625
  国有鉄道(鉄道省)の抜海駅として開業。
所在地
 北海道稚内市大字抜海村字クトネベツ。
備考

 交換設備と遮断機のない構内踏切を
 有する無人駅である。
 風雪の厳しい地域らしく、周囲の線路各所
 には防雪柵が設置されている。
 かつては貨物扱いも行う有人駅であったが
 1986年(昭和61年)11月の無人駅化により、
 駅舎の出札窓口と手荷物窓口は閉鎖され、
 待合室とトイレのみが利用できる状態に
 なっている。
 当駅には普通列車のみが停車し、
 
下り稚内方面5本/日、
 上り旭川・名寄方面5本/日が発着する。
 22線のホームは、基本的に駅舎側の
 1番のりばが下り稚内・南稚内方面、
 2番のりばが上り旭川・名寄方面に割り当て
 られている。
 駅舎は線路西側に設置されており、
 駅前広場を有する。
 尚、駐輪場は設置されていない。
 駅周囲は酪農地帯になっており、駅から
 道道510号線へ向かう駅前通りには、
 2軒程の民家がある。
 集落は駅から2km程西へ離れた抜海漁港
 を中心に形成されており、駅周囲は寂しい。
 日本最北の無人駅として有名である。

2番のりば北端より、上り名寄・勇知方面を見る。
南稚内駅舎。
古い木造駅舎が、リフォームを重ねて使われている。
駅名  南稚内(みなみわっかない)
駅構造
 単式ホーム11線、島式ホーム12線、
 計23線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 社員配置。
きっぷうりば

 みどりの窓口(6:4518:10)。
 簡易自動券売機。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。
     KIOSK2011年(平成23年)3月末
     にて閉店した。
 自動販売機 : 飲料。(コインロッカーあり)
連絡通路
 構内跨線橋。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 稚内駅。
乗降人員
 124人/日(2008年度乗車人員)。
 120人/日(2007年度乗車人員)。
開業日
 1922年(大正11年)111
  国有鉄道(鉄道省)宗谷線(後の天北線)
  の稚内駅として開業。
 1924年(大正13年)625日 
  天塩北線(現宗谷本線)延伸開業。
 1939年(昭和14年)21
  南稚内駅に改称。
 1952年(昭和27年)116
  宗谷本線の下り旭川・名寄方面に約1km
  駅を移転。
 1989年(平成元年)51日 天北線廃止。
所在地
 北海道稚内市大黒1丁目8
備考

 交換設備と構内跨線橋を備える有人駅
 である。
 かつてはJR天北線が乗り入れており、
 島式ホーム23線で、機関区や転車台、
 複数の側線・引き込み線を持ち、貨物扱い
 も行うターミナル駅であった。
 天北線の廃止(バス転換)により、現在は
 宗谷本線の単独駅になっている。
 
当駅には特急列車を含むすべての定期
 列車が停車し、
下り稚内方面8本/日、
 上り旭川・名寄方面8本/日が発着する。
 
23線のホームは、基本的に駅舎側の
 1番のりばが使用され、列車交換のある時
 (18:45発稚内行き普通列車1本)のみ
 2番のりばが使用される。
 現在3番のりばは使用されていない。
 尚、現役時の天北線も現在の1番のりば
 を主体に発着していたようだ。
 当駅は天北線の路線終点であったが、
 ほとんどの列車は隣の稚内駅まで乗り
 入れていた。
 駅舎は線路北側に設置されており、
 駅前ロータリー
を有している。
 駅の南側すぐを、北海道道106号稚内
 天塩線の旧道が並行しているが、自由
 通路がなく、南口側に出入り口はない。
 当駅の東1.5kmには宗谷総合振興局
 (旧宗谷支庁)があり、宗谷地方の代表駅
 となっている。
 駅周囲は市街地であるが、人通りは少なく
 少々寂しい。
 駅の北側約150mを国道40号線が並行して
 おり、街の中心は国道沿いにある。
 駅前にあったケンタッキーも国道側に移転
 したようだ。

稚 内
わっかない
南稚内
20119月撮影
駅名  稚内(わっかない)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 コンクリート造の地上駅舎。
 2012年(平成24年)429
  駅ビルとしてグランドオープン予定。
管理形態
 社員配置。
きっぷうりば

 みどりの窓口(6:1022:50)。
 自動券売機。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。
     2011年(平成23年)42日の
     旧駅舎(2代目駅舎)閉鎖と共に
     KIOSK、駅そばが閉店。
 自動販売機 : 飲料。(コインロッカーあり)
連絡通路
 改札口とホームを結ぶ渡り廊下がある。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 稚内駅。
乗降人員
 119人/日(2008年度乗車人員)。
 124人/日(2007年度乗車人員)。
開業日
 1928年(昭和3年)1226
  国有鉄道(鉄道省)宗谷線(後の天北線)
  の稚内港駅(わっかないみなとえき)
  として開業。
 1939年(昭和14年)21
  稚内駅に改称。
所在地
 北海道稚内市中央3丁目6-1
備考

 単式ホーム11線の有人駅であり、宗谷
 本線の終点駅である。
 かつてはJR天北線が乗り入れており、
 島式ホーム12線で構内踏切を有し、
 複数の側線・引き込み線を持ち、貨物扱い
 も行うターミナル駅であった。
 天北線は南稚内駅が路線終点であった
 が、ほとんどの列車が当駅まで乗り入れ
 ていた。
 また、古くは樺太への鉄道連絡船が発着
 する交通の要衝であった。
 天北線の廃止(バス転換)および貨物扱い
 の廃止により、しばらくはターミナル駅の
 構造にあったが、2010年(平成22年)1月末
 をもって、側線および2番線が廃止され、
 当駅と南稚内駅との間が1閉塞となった。
 当駅は特急列車を含むすべての定期
 列車の始発・終着駅であり、下り到着列車
 8本/日、上り旭川・名寄方面へ8本/日が
 発車する。
 
新駅舎は1番線の線路終点の北側(車止め
 の先)に設置されており、駅前ロータリー

 有している。(最北端の車止めは南側に
 少し移動している。)

 近く、宗谷バスターミナルや観光案内所等
 が入居する建設中のビルと繋がり、駅ビル
 となるが、同時に道の駅も併設オープン
 するとのことだ。
 駅周囲は市街地であり、稚内市役所も
 至近であるが、街の中心は南稚内駅周辺
 に移りつつあり、今後は観光拠点としての
 イメージが高くなりそうだ。
 当駅より北へ線路はなく、名実共に
 日本最北の駅となっている。

稚内駅新駅舎。
2011年(平成23年)43日より供用開始されている
駅舎内の様子。
写真中央の守衛所みたいなところがみどりの窓口。
その左のドアは駅レンタカー受付、移っていないが火災報知器の
左手に自動券売機、 発車標のある所がホーム入口。
ホームまではスロープのある渡り廊下になっている。
ホーム北端より、改札口方面と宗谷本線終点の車止めを見る。
旧駅舎入口にあった駅名標や日本最北の駅の碑が残されている。
かつて2番線の車止め付近にあった『最北端の線路』の看板は
1番線に移動し、駅舎内(待合室)よりガラス越しに見ることができる。
1番のりば東端より、下り稚内・勇知方面を見る。
駅舎内の様子。
狭い待合室にはベンチが4席置かれている。
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宗谷本線
終点
駅東側にある旧貨物積卸場。
旧貨物側線が1線残っており、現在は留置線として現役のようだ。
1番のりば東端より、上り名寄・徳満方面を見る。
ホーム先のヤブは貨物積卸場跡である。(側線が1線残っている)
ホーム南端より、下り稚内・抜海方面を見る。
線路左手のヤブにはかつて相対式ホームが存在した。
また、未確認情報であるが、廃止された簡易軌道勇知線は
旧相対式ホームのさらに左手(西側)から
撮影立ち位置後方(南方向)に向かって発着していたようだ。
抜海駅駅舎。 建物財産標には昭和15年とある。
駅舎正面部分がリフォームされている。
海側からの風雪が強く、傷みが早いのであろうか。
旧出札窓口前には、きれいに装丁された駅ノートが
期間別に整理され置かれていた。 訪問者は多いようだ。
1番のりば南端より、上り名寄・勇知方面を見る。
大きなエゾシカがゆっくりと線路を横切って行った。
ホーム南端より、改札口方面と車止め方向を見る。
(廃) 芦 川 行
For  ASHIKAWA
路線廃止(バス転換)のご案内
北海道旅客鉄道 天北線
音威子府 ⇔ 南稚内
駅舎入口付近より、みどりの窓口と改札口を見る。
みどりの窓口付近より、待合室内を見る。
ベンチはすべて改札口の方向を向いて置かれている。
右手前方の赤と青の自販機がある所が駅舎入口である。
2番のりば跨線橋下から、上り名寄・抜海方面を見る。
1番のりば東端より、上り名寄・抜海方面を見る。
1番のりば東寄りから、下り稚内方面を見る。
ホーム北端(改札口側)より、上り名寄・南稚内方面を見る。
2番のりば西端より、下り稚内・勇知方面を見る。
構内踏切は警報機のみの第3種踏切で、線路の部分のみ敷き板がある。
尚、写真右側に見える建物は保線関係の施設だろうか?
建物財産標には 『詰所 昭和16年』 とある。
駅南側の 『大通り踏切』 より駅方向を見る。
ホームへの進入制限速度標識が見える。
また、当踏切はホームより120m程離れているが、
稚内駅の構内踏切扱いになっている
かつての2番線は2010130日をもって廃止された。
路盤は整地され、パーキングになっている。
鉄道連絡船廃止のご案内
国有鉄道(鉄道総局) 稚泊連絡船
稚内 ⇔ 大泊(樺太)
駅前より東へ延びる駅前通りを見る。
100m程で北海道道510号抜海兜沼停車場線に突き当たる。
駅前通りから貨車待合室を見る。
右手の立派な建物は、市立稚内病院上勇知診療所である。
また、写っていないが、写真左手奥には農業倉庫がある。
駅南側の構内踏切より、下り稚内・南稚内方面を見る。
駅の南側には 『兜沼』 が広がっている。
沼周辺は自然公園になっており、シーズンはキャンプ等で賑わうらしい。
構内跨線橋より、下り稚内方面を見る。
この先に旧稚内機関区があった。(現在は列車庫になっている)
3番のりば跨線橋階段下より、上り名寄・抜海方面を見る。
こののりばは既に使用されておらず、ホームが削られ
線路と距離がおかれている。また、右手の草地はかつて
側線があった路盤跡である。
更にその右手(南側)には、旧道道106号線が並行している。
駅前より北へ延びる駅前通り。
150m程で国道40号線と交差する。
止まれの標識があるところを左右に走っているのが、
付け替えられた北海道道106号稚内天塩線(オロロンライン)である。
撮影立ち位置左側に駅前ロータリーが広がっている。
JR北海道 宗谷本線 : 兜沼駅勇知駅抜海駅南稚内駅稚内駅
1番のりば構内踏切より、上り名寄・徳満方面を見る。
対面の2番のりばは旧島式ホームで、ホーム向こう側のヤブは
路盤跡である。(ロープで立ち入りが規制され、線路も廃されている)
当駅と徳満駅との間にあった芦川駅は、利用者僅少により
2001年(平成13年)71日に廃止となっている。
駅前から北側に延びる道は、北海道道510号抜海兜沼停車場線だ。
正面の建物は商店と思われるが、営業していないようである。
駅南端の構内踏切。
線路の部分のみ敷き板があるタイプのものだ。
踏切脇には、旭川からの245キロポストが建っている。
柱用駅名標の下には日本最南端の西大山駅をはじめ、枕崎駅、指宿駅、
東京駅、函館駅、札幌駅、旭川駅からの距離が表示されている。
駅前の様子。 訪問の時点(20119で駅ビル建設工事中。
右側部分はすでに完成し、宗谷バスターミナルや観光案内所等が
営業している。 尚、タクシーが停まっている所が駅舎入口前である。
2012年(平成24年)429日に駅ビルとしてグランドオープン予定とのこと。
ホーム南端より、上り名寄・南稚内方面を見る。
右写真正面の建物まで行き、右手を見る。
左奥の建物は兜沼郵便局、右側のオシャレな建物は旧兜沼郵便局で
現在は、『豊富町郷土資料室・兜沼資料室』 になっており、
昔の郵便関係の資料が展示され、内部は無料にて一般公開されている。
1934年(昭和9年)〜1981年(昭和56年)に旧兜沼郵便局兼住宅の
局舎として使用されたそうだ。
尚、郵便局前を左右に走る、北海道道1118号兜沼停車場線が
集落のメインストリートである。 集落内には商店(食料品店等)もある。
路線廃止のご案内
簡易軌道 勇知線
勇知 ⇔ 下勇知
駅前から北海道道510号抜海兜沼停車場線に出て、右側(南)を見る。
それほど大きな集落ではないが、左手に勇知郵便局、右手に食料品店、
さらに道を進むとガソリンスタンド、JA稚内勇知支所、
稚内市立上勇知小中学校等がある。また、写真右側の道を行くと駅である。
2番のりば南端付近より、下り稚内・南稚内方面を見る。
左手のヤブには、かつて側線が敷かれていたようだ。
1番のりば北端より、下り稚内・南稚内方面を見る。
ホーム先のヤブは、かつての貨物積卸場である。
ヤブに埋もれて 『指差確認』 の立て札が残っている。
駅舎前より西に延びる駅前通り。  途中に23軒の民家がある。
正面のガードレールを左に出ると、
北海道道510号抜海兜沼停車場線が通っている。
駅舎東側に残る、貨物ホーム跡。

旧・稚内機関区
旧稚内機関区東側には、ヤブに埋もれて動力式転車台が残っている。
当時の航空写真によると、かつては転車台を囲むように扇型機関庫が建っていたが、
現在は廃され遊休地になっている。  転車台後方には特急サロベツが停車している。

Wikipediaによると、旧稚内機関区は現在車庫として利用されており、
特急「スーパー宗谷」「サロベツ」の折り返しのための清掃および整備作業が行われているとのことだ。

(廃)
稚内桟橋
わっかないさんばし
稚内
駅名  稚内桟橋(わっかないさんばし)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 コンクリート造の地上駅舎。
管理形態
 −
きっぷうりば

 −

駅内店舗
 有人店舗 : 食堂。 自動販売機 : −。
連絡通路
 構内踏切。
管轄
 国有鉄道(鉄道総局)
管理
 稚内港駅。
乗降人員
 −
開業日
 1938年(昭和13年)101
  稚内桟橋駅として開業。
   (稚内港駅構内の仮乗降場扱い)
廃駅日  1945年(昭和20年)825
  稚泊連絡船運航停止により廃止。
所在地
 北海道稚内市開運1丁目。
備考

 廃駅後70年近くが経過しており、詳細は
 不明な部分が多いが、
 Wikipediaによると、
 『防波堤上に稚内桟橋駅(わっかないさん
 ばしえき)を設置して使用開始された。
 ただし、稚内港駅の構内乗降場の扱い
 であり、独立した駅とはみなされていな
 かった。
 防波堤の北側、北防波堤ドームに近い側
 に線路が敷かれ、それより北側に旅客
 ホームが設置されて、線路を渡って南側に
 駅舎が設けられており、そのさらに南側が
 連絡船の着岸する岸壁であった。

 コンクリート作り2階建ての駅舎があり、
 1階が乗船口や待合室・事務室・貨物保管
 庫、2階が日本食堂の構内食堂であった。』
 とのことである。 記述には現在の地形や
 同サイトの中で矛盾する部分も見られ、
 場所の特定は難しい。
 尚、現在桟橋には鉄道連絡船ではないが、
 礼文・利尻航路が健在である。
 また、稚泊航路記念碑が建てられている。

20119月撮影
北防波堤ドーム。424mの長さがある。
稚内港の防波堤としての本来の役割と、稚泊(ちはく)航路の
桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用していたようである。
駅跡は不明であるが、駅はドーム西側(写真左手)にあったと思われる。
また、ドーム東側には稚泊航路の記念碑が建てられている。
鉄道連絡船は、稚内〜大泊(樺太)間を約9時間で結んだとのことだ。
糠南