石神
下之郷
20144月撮影
宮 前
みやまえ
甲 信 越
上田丸子電鉄 西丸子線(にしまるこせん)
下之郷
SHIMONOGOU
西丸子
NISHI-MARUO
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 上田丸子電鉄 西丸子線 : 下之郷駅宮前駅石上駅東塩田駅富士山駅
下之郷駅の構内踏切より、西丸子線の駅舎とホームを見る。
当駅舎は西丸子線廃止後、物置として使用されていたが、
近年改装され、上田電鉄直営の鉄道資料館として使用されている。
イベントが開かれている時期のみの営業しているとのことだ。
別所線のホームより、西丸子線の駅舎とホームを見る。
両ホームは構内踏切を挟んで千鳥に相対している。
東塩田
ひがししおだ
石神
富士山
駅名  東塩田(ひがししおだ)
駅構造
 単式ホーム22線の地上駅。
駅舎
 木造(推定)の地上駅舎。
管理形態
 有人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 構内踏切(推定)
管轄
 上田丸子電鉄。
管理
 
乗車人員  
開業日
 1936年(昭和11年)420
  上田温泉電軌 依田窪線の
  鈴子(すずこ)駅として開業。
 1939年(昭和14年)830
  上田電鉄に社名変更と同時に
  西丸子線と改称。
 1943年(昭和18年)1021
  上田電鉄と丸子鉄道が合併して
  上田丸子電鉄の西丸子線の駅となる。
 1953年(昭和28年)715
  東塩田駅に改称。
 1960年(昭和35年)61
  老朽化のためダイヤの半分近くを
  バス運行。
 1961年(昭和36年)629
  全ダイヤバス運行。
廃駅日  1963年(昭和38年)111
  上田丸子電鉄・西丸子線の
  全線廃止に伴い廃駅。
所在地
 長野県小県郡塩田町古安曽。
備考

 石神駅を出た西丸子線は、
 長野県道65号上田丸子線の西側を
 並行しながら南下し、現在の
 上田市古安曽にある甲田クリニック北側
 から県道を横切り、東へ向かっていた。
 駅は県道65号の古安曽(こあそ)交差点を
 東へ100m程入った十字路の東側に
 位置した。(当時の航空写真にて確認)
 ただし、駅跡を記す資料は少なく、
 詳細は不明であり、また駅跡地及び
 路盤跡は農地改良事業により整理され、
 付近に鉄道があった痕跡は全く
 残っていない。
 代替バス(上田バス西丸子線)の
 停留所は、長野県道65号上田丸子線
 沿いに設置されており、県道東側には
 下り線丸子町行き『東塩田小学校』、
 西側には上り線下之郷駅行き『東塩田』と、
 異なる名前の停留所が相対して
 置かれている。
 駅跡からは200m程離れている。

20144月撮影
石 神
いしがみ
宮前
東塩田
20144月撮影
駅名  石神(いしがみ)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(待合室あり)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 −
管轄
 上田丸子電鉄。
管理
 
乗車人員  
開業日
 1926年(大正15年)812
  上田温泉電軌 依田窪線の
  石神駅として開業。
 1939年(昭和14年)830
  上田電鉄に社名変更と同時に
  西丸子線と改称。
 1943年(昭和18年)1021
  上田電鉄と丸子鉄道が合併して
  上田丸子電鉄の西丸子線の駅となる。
 1960年(昭和35年)61
  老朽化のためダイヤの半分近くを
  バス運行。
 1961年(昭和36年)629
  全ダイヤバス運行。
廃駅日  1963年(昭和38年)111
  上田丸子電鉄・西丸子線の
  全線廃止に伴い廃駅。
所在地
 長野県小県郡塩田町大字下之郷字石上。
備考

 駅は長野県道65号上田丸子線の
 石神地区から、生活道路を10m
 西へ引っ込んだ場所に位置した。(推定)
 駅跡を記す資料は少なく、詳細は不明で
 あるが、Wikipediaによると、農地に
 なっているとのこと。
 路盤は生活道路になっており、
 駅があった痕跡は全く見られない。
 長野県道65号上田丸子線沿いに、
 代替バス(上田バス西丸子線)の『石神』
 停留所が置かれている。

上田バス西丸子線 『石神』停留所。
駅跡から10m程東に離れた
長野県道65号上田丸子線沿いに設置されている。
馬 場 行
For  BABBA
下之郷駅の構内踏切より、西丸子線のホームと、
下り西丸子・宮前方面を見る。
西丸子線のホームは、通常立ち入り禁止になっている。
ホーム裏手より、別所線のホーム方向を見る。
駅名  富士山(ふじやま)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 有人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 −
管轄
 上田丸子電鉄。
管理
 
乗車人員  
開業日
 1926年(大正15年)812
  上田温泉電軌 依田窪線の
  富士山駅として開業。
 1939年(昭和14年)830
  上田電鉄に社名変更と同時に
  西丸子線と改称。
 1943年(昭和18年)1021
  上田電鉄と丸子鉄道が合併して
  上田丸子電鉄の西丸子線の駅となる。
 1960年(昭和35年)61
  老朽化のためダイヤの半分近くを
  バス運行。
 1961年(昭和36年)629
  全ダイヤバス運行。
廃駅日  1963年(昭和38年)111
  上田丸子電鉄・西丸子線の
  全線廃止に伴い廃駅。
所在地
 長野県小県郡塩田町大字富士山字町屋。
備考

 駅は長野県道82号別所丸子線の
 富士山村役場(現JA信州うえだ
 富士山店)から北へ150m程入った
 左手(西側)に位置した。
 駅舎は老朽化しているが残っており、
 現在も民家裏手の物置として使用されて
 いるようだ。
 旧駅舎周囲は私有地になっていると
 思われる。
 長野県道82号別所丸子線沿いの
 JA信州うえだ富士山店前に
 代替バス(上田バス西丸子線)の
 『富士山』停留所が置かれている。

HOME駅のある風景全国廃線駅西丸子線(駅一覧) > 西丸子線 @
ホーム上より、別所線上り上田・大学前方面を見る。
当時の線路は別所線の上り方面へ接続しており、
別所温泉方面へは乗り入れ出来ない配線だったようである。
下之郷
しものごう
宮前
20133月撮影
富士山
ふじやま
東塩田
馬場
上田バス西丸子線 『富士山』停留所。
駅跡から200m程南に離れた
長野県道82号別所丸子線沿いに設置されている。
馬場駅へ
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20144月撮影
駅名  下之郷(しものごう)
駅構造
 島式ホーム12線の地上駅。
駅舎
 ホーム上屋下の木造駅舎。
管理形態
 社員配置。
きっぷうりば

 出札窓口 : あり。 自動券売機 : なし。
 整理券発行機 : 1台。

改札  なし。
駅内店舗

 有人店舗 : なし。  自動販売機 : 飲料。

連絡通路

 構内踏切。(警報機 : あり、遮断機 : なし)

管轄
 上田電鉄。
管理
 下之郷駅。
乗車人員  −
開業日

 1921年(大正10年)617
  上田温泉電軌川西線の下之郷駅
  として開業。
 1926年(大正15年)812
  開業した依田窪線の起点駅となる。
 1939年(昭和14年)319
  川西線が別所線に、依田窪線が
  別所線に路線名称変更。
 1939年(昭和14年)91
  社名変更により、上田電鉄の駅となる。
 1943年(昭和18年)1021
  合併により、上田丸子鉄道の駅となる。
 1963年(昭和38年)111
  西丸子線が廃止。
 1969年(昭和44年)531
  社名変更により、上田交通の駅となる。
 2005年(平成17年)103
  鉄道部門子会社化により、
  上田電鉄の駅となる。

所在地
 長野県上田市大字下之郷517-3
備考

 車両2両分の盛土式島ホームを有する
 有人駅である。
 訪問の時点で、
 下り別所温泉行き30本/日、
 上り上田行き35本/日
 の普通列車の発車がある。
 
駅は長野県道65号上田丸子線に面して
 いるが、県道からは少し引っ込んでおり
 県道側からはわかりにくい。
 広めの駅前広場を有している。
 駅周囲は田畑であるが、駅東側を通る
 県道を中心に集落が広がっている。
 駅前からは、千曲バス鹿教湯線『下之郷』、
 上田バス西丸子線(上電西丸子線の代替)
 『下之郷駅』の停留所がある。
 また、県道には上田市によるオレンジバス
 
東塩田コース『下之郷』停留所があるが、
 火・金に上田駅方面へ1往復/日と、本数は
 極端に少ない。
 生島足島神社のアクセス駅となっている。

乗換のご案内
上田丸子電鉄 別所線
上田 ⇔ 別所温泉
一般道になっている路盤跡より、上り下之郷方面(北側)を見る。
『止まれ』の標識がある所を左右(東西)に
長野県道65号上田丸子線が走っている。
駅は道路右側の民家または県道を越えた先に位置したが、
どちらにあったかは不明確である。
上田バス西丸子線 『東塩田』停留所。
駅跡から200m程北西に離れた
長野県道65号上田丸子線沿いに設置されている。
NISHI-MARUKO LINE
西丸子線 起点
駅を背に駅前広場を見る。
正面突き当りに長野県道65号上田丸子線。
右へ生島足島神社への参道が延びている。
長野県道65号上田丸子線にて、丸子方面(南側)を見る。
横断歩道を右へ入ると下之郷駅であ
る。
ホームより、下り西丸子・宮前方面を見る。
すでに西丸子線の線路は廃され、別の側線が敷設されている。
長野県道65号上田丸子線にて、上田駅方面(北側)を見る。
道を左手に入ると下之郷駅である。
ホームには古い駅名標が残るが、
西丸子線のものではなく、別所線のものを移植したようだ。
西丸子線代替の、上田バス西丸子線【下之郷】停留所。(左側)
旧上電バス時代の停留所標に『上田バス』の新社名を
張り替えて使用している。
駅名  宮前(みやまえ)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(待合室あり)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 −
管轄
 上田丸子電鉄。
管理
 
乗車人員  
開業日
 1938年(昭和13年)210
  上田温泉電軌 依田窪線の
  宮前駅として開業。
 1939年(昭和14年)830
  上田電鉄に社名変更と同時に
  西丸子線と改称。
 1943年(昭和18年)1021
  上田電鉄と丸子鉄道が合併して
  上田丸子電鉄の西丸子線の駅となる。
 1960年(昭和35年)61
  老朽化のためダイヤの半分近くを
  バス運行。
 1961年(昭和36年)629
  全ダイヤバス運行。
廃駅日  1963年(昭和38年)111
  上田丸子電鉄・西丸子線の
  全線廃止に伴い廃駅。
所在地
 長野県小県郡塩田町大字下之郷。
備考

 駅は長野県道65号上田丸子線の
 下之郷交差点から、長野県道177
 鹿教湯別所上田線を西へ300m程の
 場所に位置した。
 駅跡を記す資料は少なく、詳細は不明で
 あるが、駅跡は現在の生島足島神社の
 第2駐車場(県道北側)または
 民家(県道南側)になっていると思われる。
 路盤は生活道路になっており、
 駅があった痕跡は全く見られない。
 駅跡から500m程離れた長野県道65
 上田丸子線沿いに、代替バス(上田バス
 西丸子線)の『神社前』停留所が置かれて
 いる。

左右に走る長野県道177号鹿教湯別所上田線より、
前方へ伸びる道路(路盤跡)と、上り下之郷方面(北側)を見る。
駅は撮影立ち位置後方右手の民家、または写真左手の
『生島足島神社第2駐車場』のどちらかにあったと思われる。
当時の線路は、路盤跡である道路先右手の白い花が咲いている
木のあたりから斜め右手へ曲がり、下之郷駅へ向かっていた。
道路前方へ進むと、上田電鉄別所線の踏切がある。
一般道になっている路盤跡より、下り西丸子・石神方面(南側)を見る。
『止まれ』の標識がある所を左右(東西)に
長野県道177号鹿教湯別所上田線が走っている。
駅は道路左側の駐車場または県道を越えた先の大きな民家付近に
位置したが、どちらにあったかは不明確である。
長野県道177号鹿教湯別所上田線より、西を見る。
西丸子線はカーブミラーのある所を左右(南北)に走っていた。
右(北)へ下之郷方面、左(南)へ石神方面である。
駅入口は県道の左右のどちらかにあったようだが
痕跡や資料がなく、 特定は難しい。
長野県道177号鹿教湯別所上田線より、東を見る。
西丸子線は正面の大きな民家の前を左右(南北)に走っていた。
左(北)へ下之郷方面、右(南)へ西丸子・石神方面である。
撮影立ち位置県道177号を正面に進むと、300m程で
長野県道65号上田丸子線との下之郷交差点に出る。
交差点を左(北)へ200m程に代替バス(上田バス西丸子線)の
『神社前』停留所が置かれている。
左右に走る長野県道177号鹿教湯別所上田線より、
前方へ伸びる道路(路盤跡)と、下り西丸子・石神方面(北側)を見る。
駅跡と推定される場所に、鉄道があった痕跡はまったくない。
長野県道65号上田丸子線にて北(下之郷方向)を見る。
道路両側に千曲バス鹿教湯線の石神停留所がある。
推定であるが、駅跡は写真中央部の横断歩道から左へ
農道を10m程入ったところである。
長野県道65号上田丸子線から農道を10m程入ると4差路に出る。
写真右端(南側)から左手(北側)へ伸びる道が路盤跡(農道)である。
この小さな交差点部分に石神駅があったようだが、
痕跡はまったく残っていない。
長野県道65号上田丸子線にて南側を見る。
上田バス西丸子線の『石神』停留所(オレンジ色)があるが、
千曲バス鹿教湯線の『石神』停留所(赤色)のバス停標が
大きく目立っている。 本数は西丸子線7往復/日、鹿教湯線2往復/日。
直進(南下)すると、平井寺トンネルから国道254号線に突き当たる。
駅跡北側(石神寄り)から、生活道路となっている路盤跡と
下り西丸子・東塩田方面(南側)を見る。
痕跡がなく、ホームが設置されていた場所の特定ができない。
踏切跡付近より、下り西丸子・東塩田方面(南側)を見る。
左手(東側)へ県道、右手は農道になっている。
駅跡南側(東塩田寄り)から、生活道路となっている路盤跡と
上り下之郷・宮前方面(北側)を見る。
しだれ桜があるところが踏切跡で、右手(東側)へ県道である。
踏切跡付近より、上り下之郷・宮前方面(北側)を見る。
宮前駅まで約1kmは一直線である。
駅跡北側(宮前寄り)から、生活道路となっている路盤跡と
上り下之郷・宮前方面(北側)を見る。
この先の四つ角付近に駅があったという説もある。
赤い屋根は上田市東塩田保育園。
駅跡付近の農道より、東側を見る。
左右に走る道路が路盤跡である。
長野県道65号上田丸子線にて北を見る。
道路先に『石神』停留所の南に見えたガソリンスタンドが見える。
県道東側(右側)には、西丸子線下り線『東塩田小学校』停留所、
西側(左側)には上り線『東塩田』停留所と、
異なる名前の停留所が相対して置かれている。
長野県道65号上田丸子線『東塩田小学校』停留所前にて北を見る。
左手のフェンスは東塩田小学校のものである。
駅跡はクルマが写っている所の『古安曽交差点』を
左(東側)へ向かい、100m程である。
『東塩田小学校』停留所から県道65号線を南へ150m程の
『古安曽交差点』を越えたあたりから東を見る。
左に建設会社、右に薬局があり、その中央の通路が路盤跡である。
下り西丸子・富士山方面を見る。 東塩田駅はこの先にあった。
撮影立ち位置後方は『甲田クリニック』駐車場である。
上の写真の建設会社と薬局の間の路盤跡を東へ進む。
線路は撮影立ち位置付近より、写真中央左手のプレハブ小屋を
貫いて敷設されていたようだ。
下り西丸子・富士山方面を見る。
駅跡を背に上り下之郷・石神方面を見る。
線路は撮影立ち位置から、正面の建物を貫いて敷設されていた。
駅跡南側の一般道から、上り下之郷・石神方面を見る。
写真右手奥が駅跡になる。
道路を道なりに直進で、東塩田小学校正門前から県道65号線に出る。
上の写真の反対側(東塩田小学校側)から十字路を見る。
線路は右手の建物から、左手の電柱方向に伸びていた。
写真左手奥が駅跡で、下り西丸子・富士山方面になる。
上の写真の撮影立ち位置より、更に東へ約20mの地点。
駅は写真中央右手の建設会社の屋根のある資材置き場付近にあった。
現在では鉄道があった痕跡が一切見られない。
駅跡南側より、踏切のあった十字路を見る。
西丸子線はこの十字路を左右(東西)に走っていた。
写真右手が上り下之郷・石神方面。
駅跡は右手(東)になる。
長野県道82号別所丸子線にて東(下り西丸子・馬場方面)を見る。
県道左手に『富士山』バス停。
右手は、『JA信州うえだ富士山店』(旧富士山村役場)。
長野県道82号別所丸子線にて西(上り下之郷・東塩田方面)を見る。
県道右手に『富士山』バス停。
左手は、『JA信州うえだ富士山店』(旧富士山村役場)。
駅跡はバス停先の鉄塔(火の見櫓)を右へ入って行く。
旧駅前通りから、東(下り西丸子・馬場方面)を見る。
写真中央のブルーの屋根が旧駅舎である。
旧駅前通りの駅舎前付近?から、西(上り下之郷・東塩田方面)を見る。
写真右手のブルーの屋根が旧駅舎である。
旧駅前通りの駅舎前付近?から、東(下り西丸子・馬場方面)を見る。
写真左手のブルーの屋根が旧駅舎である。
旧駅前通り?より、駅舎全景?を見る。
当時のことは不明であるが、屋根が繋がっていることより
奥行きのある駅舎と推定するが・・・
駅舎入り口(と思われる)。
現在は民家のガレージとして使用されている感じだ。
路盤側から駅舎を見る。
既にホームはなく、路盤も残っていない。
路盤後より少し離れて、下り西丸子・馬場方面(東側)を見る。
写真左端の建物部分の路盤後は、生活道路になっている。
路盤後と思われる位置より、下り西丸子・馬場方面(東側)を見る。
路盤跡には住宅が建てられている。
路盤後と思われる位置より、上り下之郷・東塩田方面(西側)を見る。
廃線後、半世紀が経過しており、
鉄道があった痕跡は一切残っていない。
上の写真の左端部分より、下り西丸子・馬場方面(東側)を見る。
道路の左半分が路盤後である。
1963年(昭和38年)111日 廃線