北海道
北海道旅客鉄道 深名線(しんめいせん)
深川
FUKAGAWA
名寄
NAYORO
添牛内
そえうしない
2011 9月撮影
大曲
新富
 HOME駅のある風景全国廃線駅深名線(駅一覧) > 深名線 C
共 栄
きょうえい
大曲
2011 9月撮影
新 富
しんとみ
添牛内
20119月撮影
旧国道275号線の踏切跡付近から添牛内方面に10m程の地点。
廃駅後35年以上が経過しており、駅があった痕跡はまったくない。
航空写真や各種資料から、写真左手にホームがあったと推測する。
1995年(平成7年)94日 路線廃止
添牛内駅舎。
現在は民家の物置として利用されている。
駅舎入口脇には水色の古い浴槽が置かれ、物入れとなっている。
ジェイ・アール北海道バス・深名線上り方面 『共栄停留所』 と
駅跡へ向かう林道を見る。
駅跡は停留所脇の非舗装の林道を東へ150m程にある。
駅名  新富(しんとみ)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。  自動販売機 : なし。
連絡通路
 なし。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 −
乗降人員
 −
開業日
 1955年(昭和30年)92
  日本国有鉄道・深名線の新富仮乗降場
  として開業。
 1956年(昭和31年)920
  新富駅として常設駅化。
廃駅日  1990年(平成2年)91
  利用者僅少のため廃駅。
 (1995年(平成7年)94日 深名線廃線)
所在地
 北海道雨竜郡幌加内町字新富。
備考

 駅は幌加内町の政和地区を中心に広がる
 平野部の最北端にあり、北側4km程に
 雨竜川の渓谷を控える位置にあった。

 
大まかな場所は、新富地区を流れる雨竜川
 支流の十三線川に架かる国道275号線の
 橋から、西へ200m程の地点から右側の
 小径を入った正面になる。
 小径の入口には代替バスの『新富停留所』
 があるので、わかりやすい。
 廃駅時は木造の簡易駅舎と盛土式の単式
 ホームがあるのみの無人駅であった。
 廃駅前の1990年(平成2年)2月の時点で、
 下り名寄・朱鞠内方面4本/日
 (7:0412:3815:3718:28)、
 上り深川・幌加内方面4本/日
 (6:088:0614:3617:31)の発着があり、
 すべての列車が停車していた。
 廃駅の時点で、ホームは線路の南側に
 あった。
 現在、すべての施設が撤去され、駅跡と
 路盤跡はそば畑になっており、駅跡の特定
 が出来なくなっている。
 駅跡周囲に民家はなく、当時駅舎の右脇
 にあった『新富集荷所』のみがポツンと
 残っている他、国道を挟んだ斜向かいに、
 酪農家が1軒あるのみである。
 かつての新富地区は、国道275号線を
 中心に数十戸の民家と複数の澱粉工場、
 製材所を抱える集落で、幌加内町立豊富
 小学校(新富小学校)があったが、過疎化
 により1973年(昭和48年)331日をもって
 閉校している。

ジェイ・アール北海道バス・深名線 『新富停留所』。
国道275号線沿いに設置されている。
下り名寄方面5本/日、上り幌加内方面6本/日の便がある。
(名寄方面は朱鞠内止まりあり。上下線とも土日祝に運休便あり)
国道275号線沿いの『新富停留所』前より、駅跡方向を見る。
当時の航空写真によると、駅舎は道の正面の若干左寄りに建っていた。
道の右側、木立の奥に見える青い屋根は、『新富集荷所』である。
旧駅舎前より駅前通りを見る。
旧駅前に立ち、上り深川・政和方面(東側)を見る
路盤跡はそば畑になっており、まったくわからない。
駅名  添牛内(そえうしない)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 −

駅内店舗
 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。
連絡通路
 なし。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 −
乗降人員
 −
開業日
 1931年(昭和6年)915
  国有鉄道(鉄道省)雨龍線の添牛内駅
  として開業。
廃駅日  1995年(平成7年)94
  深名線廃線により廃駅。
所在地
 北海道雨竜郡幌加内町字添牛内。
備考

 駅は幌加内町の添牛内地区に広がる
 小さな平野部にあり、周囲を山地に囲まれ
 た盆地のような地形の中に位置した。
 おおまかな場所は、幌加内方面からの
 国道275号線と、苫前方面からの
 国道239号線の三つ又交差店から200m
 北上した左手(西側)になる。
 廃駅時は、木造駅舎と盛土式単式ホーム
 があるのみの無人駅であったが、
 かつては相対式ホーム22線、構内踏切
 と複数の側線を有し、貨物扱いも行う
 大きな有人駅であった。
 廃駅の直前(19958月)で、
 下り名寄・朱鞠内方面4本/日
 (
6:1012:1515:1418:00)、
 上り深川方面3本/日
 (8:0614:4117:25)の発車があり、すべて
 の列車が停車し、深川駅へ折り返す当駅
 止まりの下り列車も1本設定されていた。
 駅舎は線路の東側にあり、駅前広場を
 有した。  
 現在、木造駅舎とホーム、駅前広場が
 残っている。
 尚、現在駅舎は駅前にある民家の物置
 として利用されているようだ。
 幌加内交流プラザの深名線資料館の説明
 によると、幌加内地区は
 「古くから日本海側の苫前方面への道が
 分かれる交通の要衝で、河川交通の
 中継地でもありました」
 とのことで、国道275号線(札幌-浜頓別)と
 国道239号線(網走-留萌)が当地区内で
 2km程重複しながら交差しており、
 かつてはこの重複国道沿いに大きな集落
 が形成され、添牛内小中学校や添牛内
 郵便局があった。
 現在では過疎化が進み、幌加内町立
 添牛内中学校は1984年(昭和59年)3月、
 幌加内町立添牛内小学校は2000
 (平成12年)3月をもって閉校、
 また、添牛内郵便局は、1999年(平成11年)
 626日をもって廃局し、現在はそば店に
 なっている。
 代替バスの添牛内停留所は重複国道沿い
 の駅前広場すぐにあり、そば店の正面に
 あるため、駅跡へのランドマークとなって
 いる。

同じく、駅舎裏(旧ホーム)より、下り名寄・大曲方面を見る。
構内のヤブ化が進み、路盤跡もまったくわからない。
大 曲
おおまがり
添牛内
駅名  大曲仮乗降場
 (おおまがりかりじょうこうじょう)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(ホーム上に待合室があった)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。  自動販売機 : なし。
連絡通路
 なし。
管轄
 日本国有鉄道 旭川鉄道管理局。
管理
 −
乗降人員
 −
開業日
 1955年(昭和30年)820
  深名線のレールバス導入に伴い、
  日本国有鉄道の大曲仮乗降場
  として開業。
廃駅日  1976年(昭和51年)21
  利用者僅少により仮乗降場のまま廃駅。
 (1995年(平成7年)94日 深名線廃線)
所在地
 北海道雨竜郡幌加内町字大曲。
備考

 駅は南北を山地に挟まれて流れる
 雨竜川沿いの狭い田園地帯にあった。
 
大まかな場所は、添牛内地区から北へ
 分岐する国道275号線が雨竜川を超える
 北星橋から約1.3kmの地点左側である。
 国道275号線沿いにある、代替バスの
 『大曲停留所』の600m程西で、現在の
 国道275号線と旧国道275号線が合流する
 付近になるが、ランドマークとなる建造物が
 なく、場所が非常にわかりにくい。
 開業から廃駅まで、単式ホーム(桁式構造
 と思われる)と待合室のみの無人駅で
 あった。
 廃駅前の1976年(昭和51年)1月の時点で、
 下り朱鞠内行き6本/日、
 上り深川行き6本/日の列車設定があった
 が、JTB時刻表には当仮乗降場及び次駅
 の共栄駅(1976年当時は仮乗降場)の
 
記載が無く、停車していた列車の本数
 および発車時刻は手元に資料がなく、
 不明である。
 廃駅の時点で、ホームは線路の北側
 (朱鞠内方面に向かって右側)にあった。
 現在、すべての施設が撤去され、駅跡と
 路盤跡はヤブに埋もれ、全くわからない
 状態である。
 駅跡周囲に民家はなく、1km程添牛内寄り
 に酪農家が2軒程あるのみである。
 (住民がいるかどうかは未確認)
 かつての大曲地区は、現在の国道275号線
 沿いの『大曲停留所』を中心に50戸以上の
 民家と複数の澱粉工場等を抱える集落で
 あった。

ジェイ・アール北海道バス・深名線 『大曲停留所』。
旧駅前から600m程添牛内寄りの、国道275号線沿いに設置されている。
下り名寄方面5本/日、上り幌加内方面6本/日の便がある。
(名寄方面は朱鞠内止まりあり。上下線とも土日祝に運休便あり)
2011 9月撮影
駅名  共栄(きょうえい)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 なし。(ホーム上に待合室があった)
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 なし。

駅内店舗
 有人店舗 : なし。  自動販売機 : なし。
連絡通路
 なし。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 −
乗降人員
 −
開業日
 1955年(昭和30年)820
  深名線のレールバス導入に伴い、
  日本国有鉄道の共栄仮乗降場
  として開業。
 1987年(昭和62年)41
  JR北海道に承継と同時に共栄駅として
  常設駅化。
廃駅日  1995年(平成7年)94
  深名線廃線により廃駅。
所在地
 北海道雨竜郡幌加内町字共栄。
備考

 駅は山地に挟まれて流れる雨竜川沿いの
 狭い田園地帯にあり、周囲を山林に囲まれ
 た場所にあった。
 
大まかな場所は、国道275号線が雨竜川を
 渡る『蛟竜橋』の北100m程から、東に分岐
 する林道を150m程入った左手である。
 国道275号線沿いに置かれている代替バス
 の『共栄停留所』が東へ入る林道の
 ランドマークとなっている。
 廃駅時は桁式板張りの単式ホームと
 ホーム上に小さな待合室を備える無人の
 小駅であった。
 廃駅の直前(19958月)で、
 下り名寄・朱鞠内方面3本/日
 (12:5315:5118:38)、
 上り深川・幌加内方面2本/日
 (7:5717:16)の発着があり、
 上下線の一部列車は通過していた。
 ホームは線路の西側にあった。
 現在、駅跡は深いヤブになっており、
 場所の特定が非常に難しくなっている。
 また、路盤跡もヤブ化により判別が難しい
 状態である。
 駅があった当時も、周辺には民家が1
 のみだったようだが、現在では駅跡周囲に
 民家はまったくない。
 国道沿いのバス停の西側には共栄の
 集落があるが、過疎化が進みほとんどが
 廃屋で、数軒の民家に住民が残るのみの
 ようだ。
 尚、当時集落にあった幌加内町立共栄
 小学校は、後に幌加内町立朱鞠内小学校
 共栄分校に改称、1980年(昭和55年)3
 31日をもって廃校となっている。

国道275号線の新道に立ち、下り名寄・共栄方面を見る。
道路が右へカーブする手前に旧道の合流点がある。
国道275号線の新道部分に立ち、上り深川・添牛内方面を見る。
深名線は写真右手のヤブの中にあり、撮影立ち位置より右(南側)へ
新国道・ホーム・線路・旧国道の順になっていた。
ホームへの入口は旧道側にあり、構内踏切を渡ってホームへ出る
駅構造であったらしく、新道開通後は新道側にも入口があったと
思われる。(推測であるが・・・)
尚、代替バスの『大曲停留所』は、この先600m程の旧集落付近にある。
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国道275号線に立ち、幌加内方面(東側)を見る。
道の左側に見える青い屋根の建物は、『新富集荷所』である。
旧駅前に立ち、下り名寄・添牛内方面(西側)を見る
こちらも路盤跡はそば畑になっており、まったくわからない。
国道275号線に立ち、朱鞠内方面(西側)を見る。
道の右側に見える青い屋根の建物は、『新富集荷所』である。
駅舎のホーム側に残るのは、信号扱い所跡か。
国道275号線にて添牛内方面を向き、大曲仮乗降場跡全景を見る。
正面から合流している道は、国道275号線の旧道で、
駅があった当時の航空写真によると、撮影位置から旧道へ向かう道が国道で、
旧道から左側の舗装路は廃駅の数年前に新道として開通している。
(撮影立ち位置右側の舗装路は、旧国道を拡張舗装したもの)
この新道は深名線の北側に沿って開通したもので、
この写真に当てはめると、新国道の右側に沿って深名線が走っていた。
よって、旧道が新道に合流する手前に踏切があり、
大曲仮乗降場は写真中央左の高い樹木の右手付近にあった。
旧国道275号線の踏切跡付近に立ち、上り深川・添牛内方面を見る。
写真中央付近のヤブにホームへの入口があったと思われる。
国道275号線の新道側からホームへの入口跡?
(何となく”らしき”痕跡であるが、確証はなく、まったくの見当違いかも・・・)
とにかくこの大曲仮乗降場に関しては情報が少ない。
共栄
朱鞠内
朱鞠内
しゅまりない
共栄
湖畔
2011 9月撮影
JR北海道 深名線 廃線 廃駅 : 新富駅添牛内駅大曲仮乗降場共栄駅朱鞠内駅
旧駅舎前より、南側を見る。
かつて、駅舎の向こうには貨物積卸場と側線があった。
また、写真中央の草地には、日本通運の幌加内営業所が置かれ、
その奥には木材加工場があった。
同じくジェイ・アール北海道バス・深名線下り方面 『共栄停留所』。
国道275号線沿いに設置されており、駅跡への絶好のランドマークである。
下り名寄方面5本/日、上り幌加内方面6本/日の便がある。
(名寄方面は朱鞠内止まりあり。上下線とも土日祝に運休便あり)
写真正面の道は町道で、国道西側の共栄集落へ向かっている。
駅跡は、当待合所の対面(撮影立ち位置後ろ)の林道を入っていく。
林道は深名線を横切っており、撮影立ち位置付近が踏切跡になる。
東側を見る。 道はこの先、行き止まりになっている。
写真左手が駅跡になる。
国道275号線から林道を東に入り、振り返る。
上り方面のバス停と、待合所の三角屋根が見える。
踏切跡より、下り名寄・朱鞠内方面(北側)を見る。
ホームは写真左側の背の高いヤブがある場所にあった。
(路盤があったところはヤブの高さが低い)
ホームへは、当踏切から桁式板張りホームへスロープで上がる構造であった。
踏切跡より、上り深川・大曲方面(南側)を見る。
ヤブ化がひどく、写真ではわかりにくいが、
肉眼では何とか路盤跡だとわかる状態である。
たぶんあと数年で判別不能になるだろう。
駅名  朱鞠内(しゅまりない)
駅構造
 相対式ホーム22線の地上駅。
駅舎
 コンクリートブロック造の地上駅舎。
管理形態
 社員配置。
きっぷうりば

 出札窓口。(みどりの窓口の有無は不明)

駅内店舗
 有人店舗 : −。 自動販売機 : −。
連絡通路
 構内踏切。
管轄
 北海道旅客鉄道 旭川支社。
管理
 朱鞠内駅。
乗降人員
 48人/日(1979年度乗降人員)。
開業日
 1932年(昭和7年)1025
  国有鉄道(鉄道省)幌加内線の朱鞠内駅
  として開業。
廃駅日  1995年(平成7年)94
  深名線廃線により廃駅。
所在地
 北海道雨竜郡幌加内町字朱鞠内6404
備考

 駅は東西を山地に挟まれて流れる
 雨竜川沿いの細長い平野部に位置し、
 朱鞠内地区の中心駅となっていた。
 深名線の途中駅では幌加内駅と共に、
 廃線まで駅員が常駐した有人駅であり、
 最後まで列車交換やタブレットの受け渡し
 が行われていた。
 かつては転車台や複数の側線、広い
 ストックヤードを有し、貨物扱いでは木材
 やダム建設資材の輸送も盛んであった。
 また、日本海沿岸の羽幌から当駅までを
 結ぶ【名羽線(めいうせん)】の計画があり、
 当駅にて深名線との接続を行う予定が
 あったが、結局叶わなかった。
 廃駅の直前(19958月)で、
 下り名寄方面4本/日
 (
6:559:4014:3317:22)、
 上り深川・幌加内方面4本/日
 (7:5314:2917:1220:07
 の発着があった。
 深名線は当駅にて運行系統が分かれて
 おり、1往復の列車を除き、上下線の全て
 の列車が当駅を終着としていた。
 駅舎や駅前広場は線路の西側にあった。
 現在、駅の設備はすべて撤去・整地され、
 『朱鞠内コミュニティ公園』として整備され
 ている。
 駅舎跡地北側には、代替バスのターミナル
 が建てられ、広い構内はパットゴルフ場と
 して活用されている。
 尚、旧駅前広場(現バスロータリー)には
 幌加内駅と同様、駅名標や線路の一部が
 移設されている。
 駅跡のランドマークは『朱鞠内郵便局』で、
 駅跡は郵便局の北200m程の東側である。
 集落には、幌加内町役場朱鞠内支所、
 幌加内町立朱鞠内小学校や士別警察署の
 朱鞠内駐在所等があるが、過疎化が進み
 集落内の人影も少ない。
 雨竜第1ダム(朱鞠内湖)の建造時は
 かなり大きな集落が形成され、賑わった
 ようだ。

地区のメインストリートである国道275号線より、朱鞠内湖方面(北側)を見る。
右手へ入る道が駅跡へ続いている。
同じく国道275号線より、幌加内方面(南側)を見る。
国道沿いに商店や郵便局がある。
駅跡へは左手の道を入る。 廃ガソリンスタンドの黄色い塀が目印だ。
国道275号線より東を向き、駅跡を見る。
正面の大きな白い石がある少し手前に朱鞠内駅舎があった。
旧構内には、バスターミナルが建てられ、
駅名標と線路が移設されている。
駅舎跡付近より、上り深川・共栄方面(南側)を見る。
構内北端に残る路盤跡より判断すると、道路左側の歩道付近に
線路が敷設されていたと思われる。
駅跡地は『朱鞠内コミュニティ公園』として整備された。
構内北端に残る路盤跡を写真中央に置き、下り名寄・湖畔方面を見る。
整地され痕跡がないが、左の道路付近が駅舎、歩道付近が
駅舎側ホーム、右のバス待合所付近が相対ホーム跡であろうか。
ちょうど幌加内行き代替バスが発車して行くところだ。
モニュメント前より、下り名寄・湖畔方面を見る。
駅跡モニュメントの周りは一方通行のロータリーになっており、
代替バスの転回場になっている。
政和
政 和 行
For  SEIWA
旧駅舎に向かって右側にある『新富集荷所』。
コンクリートブロック造である。
現在でも使用されているかは不明。
上の写真の道を進み、旧駅前付近に立ち、駅跡を見る。
現在は整地され、道が『新富集荷所』を巻くように曲がっており、
その先で行き止まりになっている。
当時この道は真っ直ぐで、駅舎は写真中央から少し左に寄った
そば畑のあたりにあったようだ。
ジェイ・アール北海道バス・深名線 『添牛内郵便局前停留所』。
郵便局はそば店に変わったが、停留所名はそのまま残っている。
下り名寄方面5本/日、上り幌加内方面6本/日の便がある。
(名寄方面は朱鞠内止まりあり。上下線とも土日祝に運休便あり)
駅舎裏(旧ホーム)より、上り深川・新富方面を見る。
旧ホームが残っているはずだが、ヤブ化が進み状態が良くわからない。
同じく、駅舎裏(旧ホーム)より、下り名寄・大曲方面を見る。
注意して見ると、ヤブに埋もれたホーム端が何とか確認できる。
駅舎前より駅前広場を見る。
駅は国道に面しており、駅前には民家が1軒ある。
当時の町内図によると、かつての駅前には、右側に日通と民家、
左側に民家と大きな商店があり、
正面の国道の向こうにはパチンコ店、美容院、旅館が軒を並べ
集落内には駐在所、消防、郵便局、診療所、家畜診療所、農協、
商店、会社・工場等があり、大きな集落が形成されていた。
駅前より重複国道(国道275239号線)に出て、朱鞠内方面を見る。
写真右手の「手打ちそば」の看板がある所が『霧立亭』で、
廃局になった添牛内郵便局の局舎を利用したそば店である。
旧駅舎は写真左手へ入る。
(廃)
ジェイ・アール北海道バス・深名線の『朱鞠内停留所』
駅跡の『朱鞠内コミュニティ公園』内に設置されている。
下り名寄行き4本/日、上り幌加内行き6本/日の便があり、
土日祝には幌加内行きに運休便がある。
(仮・廃)


『添牛内跨線橋』より、上り深川・新富方面を見る。
路盤跡は自然回帰が進み、航空写真でなんとかわかる程度だ。
幌加内町立添牛内小学校正門跡。  かつては小中学校であった。
駅跡から1km程東の重複国道(国道275239号線)沿いにある。
国道239号線の跨線橋付近より、国道275号線と合流する
三つ又交差点方面(東側)を見る。
ガードレールのある所に『添牛内跨線橋』がある。
突き当たりを右(北側)へ200m程で駅跡である。
国道239号線より、西側の苫前・霧立峠方面を見る。
線路が廃された今も跨線橋の表示が残っている。
『添牛内跨線橋』より、下り名寄・大曲方面(北側)を見る。
写真中央上に、白壁+赤い切り妻屋根の旧添牛内駅舎が見える。
また、見えにくいがガードレール右端には
【深名線】の表示プレートが残っている。
ホーム跡付近のヤブに踏み入ると、
路盤跡にはバラストが残っていた。
踏切跡付近に立ち、国道275号線方面(西側)を見る。
踏切跡は少し道幅が広くなっている。
当時の写真によると、当踏切は警報機、遮断機の無い第4種踏切で
線路部分に敷き板があるのみの構造であった。
写真右側のヤブの部分に、ホームがあった。
バス待合所脇より、下り名寄・湖畔方面を見る。
広い構内はパットゴルフ場になった。