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すみません! 未訪問です。 その内行って来ます。 |
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2021年5月 撮影 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大神駅跡。
駅跡には、JR東日本八王子支社および奥多摩工業(株)の寄贈による モニュメントが置かれ、ポケットパークとして平成12年(2000年)に 昭島市により整備されている。 奥多摩工業(株)は、石灰の採掘・販売を行う太平洋セメントの 系列企業であるが、会社設立時の社名は奥多摩電気鉄道であり、 現在でも奥多摩の水根貨物線(旧西武小河内線)を所有している。 |
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モニュメントは青梅線の昭島・奥多摩駅で使用していた設備を 移設しているとのこと。 また、展示の台車は主に貨車で使用され、重ね板ばねが採用された ベッテンドルフ形TR41Bボギー台車と思われる。 |
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駅跡の案内板。 五日市鉄道の歴史などと共に、大神駅が単線の無人駅であったことや ガソリンカーが走っていたことなど、大変貴重な情報が記載されている。 |
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ポケットパークには数脚のベンチと、信号機・踏切等が置かれている。 |
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駅跡前より、上り立川・宮澤方面を見る。 道路先に横断歩道が見える所を 『昭和通り』が横切っており、 更にその100m程先をJR八高線が左右(南北)に通っている。 当時の五日市鉄道は、八高線と昭和通りを堀割でアンダーパス しており、駅は昭和通りの橋の手前右手の低い位置にあった。 現在は路盤・駅跡とも埋め戻され平地となっているが、 写真中央の道路先に見える八高線の地下通路は 往時の堀割路盤を利用したものである。 |
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駅跡前より、下り拝島・武蔵田中方面を見る。 線路が敷設されていた路盤は道路化され、面影はまったくないが、 『五鉄通り』という通称道路名にその名残を留めている。 駅跡は左手。 |
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2021年5月 撮影 |
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武蔵田中駅跡付近(旧沿線脇)に整備されたモニュメント。 第二種車止め(右)と錘付き転換器(左)が置かれている。 転換器には、株式会社服部製作所(現:JST株式会社)の表記があり、 大正期〜昭和初期のものと推察される。 大神駅跡と異なり、駅跡を示す表示や説明板は設置されていない。 |
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五日市鉄道の廃線跡は、道路化され 2004年昭島市により 『五鉄通り』と命名されている。 |
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路盤跡に立ち、上り立川・大神方面を見る。 左手のモニュメント先に延びる道路が路盤跡(五鉄通り)。 右手の道路は、東京都道29号立川青梅線 通称 『新奥多摩街道』で、 線路があった当時にこの道はなく、五日市線は前方の『五鉄通り』から、 撮影立ち位置右手の 『新奥多摩街道』 を後方に向かって延びていた。 よって、『新奥多摩街道』も路盤跡を道路化したものである。 |
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路盤跡(五鉄通り)に立ち、下り拝島・南拝島方面を見る。 歩道右手にモニュメントが見える。 武蔵田中駅は左手を通る 『新奥多摩街道』の左手、 写真中央の街路樹がある付近にあった。 |
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路盤跡(五鉄通り)に立ち、上り立川・大神方面を見る。 モニュメントは撮影立ち位置後方左手にある。 道路(路盤)脇は現在 住宅地や緑地となっており、 商店などはない。 交通量もそれほど多くない。 |
路盤跡(新奥多摩街道)左脇に立ち、下り拝島・南拝島方面を見る。 |
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拝島多摩川貨物停車場跡のランドマークである
『拝島水道橋』。 羽村市の小作浄水場から、八王子・多摩市方面へ水を送る 水管が通る延長650mの水道橋である。 正式名称は 『多摩川横断水道橋』で、人の通行は不可となっている。 国道16号線が多摩川を跨ぐ『拝島橋』の西、約850m程に位置する。 拝島市側の土手から八王子市側を見る。 |
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拝島多摩川停車場跡にて、線路終端方向(北西方向)を見る。 写真左手は多摩川の土手であり、『拝島水道橋』がある。 線路終端は、この先100m程にあったようだ。 1941年(昭和16年)7月撮影の航空写真には、この辺りに複数の 側線らしきものと右手に駅舎と思われる小さな建物が確認出来る。 当駅は多摩川の砂利輸送を担った3線を有する貨物停車場であった。 残念だが鉄道があった痕跡は残っておらず、施設の正確な位置は不明。 |
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拝島多摩川停車場跡にて、上り武蔵田中方面を見る。
(左上の写真の撮影立ち位置より振り返る) かつての路盤は、1992年(平成4年)2月に 『はけの下の自然を守る会』により桜が植樹されている。 右手に多摩川の土手への小径が続いている。 路盤跡左手は住宅地になっており、生活道路が通っている。 |
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多摩川の土手上から、『拝島水道橋』と線路終端方向を見る。 貨物支線(砂利線)は土手下右手を走っていた。 当時は水道橋はなく、その先に左手の多摩川の中州から 簡易な鉄道橋が架かり、この土手を超えて 右手の拝島多摩川貨物停車場へ砂利を搬入していた。 |
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土手へ上がる小道から、上り武蔵田中方面を見る。 左手の土手下桜並木が路盤後である。 |
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路盤後に立ち、線路終端方向を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貨物支線脇の住宅地の様子。 当時の航空写真にはこの住宅地は写っていない。 貨物支線跡は住宅右手奥。 |
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すみません! 未訪問です。 その内行って来ます。 |
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