HOME駅のある風景甲信越東北米坂線越後金丸駅
   
 
   
越後金丸
えちごかなまる
   廃・玉川口
 
小国
1番のりば 米坂線 2番のりば  越後片貝
駅名  越後金丸(えちごかなまる)
駅構造
 盛土式相対ホーム22線の地上駅。
電化/軌間  非電化/1067mm
駅舎
 構内東側にコンクリート造の地上駅舎。
駅前広場  ○
管理形態
 無人。
きっぷ
うりば
 出札窓口 : 閉鎖されている。
 券売機 : ×
 乗車駅証明書発行機 : ×
 自動精算機 : ×
 ICカードチャージ (現金:×、 ビューカード:×)。
改札  行わない。
 ICカード対応 : ×
トイレ  ○ (駅舎内)
駅内店舗
 有人店舗 : ×
 自動販売機 : ×
連絡通路
 構内跨線橋。(EV : ×、 ES : ×)
乗車人員  −
管轄
 東日本旅客鉄道 新潟支社。
所属路線  米坂線。
管理
 小国駅。
発着列車  上り 米沢方面 6本/日 (1番のりば)
 下り 坂町方面 6本/日 (2番のりば)
  快速べにばな、普通列車が停車する。
  かつては 『急行べにばな』 の一部列車が停車していた。
主な歴史

 1933年(昭和8年)1130
  国有鉄道(鉄道省)米坂西線の越後下関駅-当駅間
  開業と共に 越後金丸駅として開業。
  一般駅。 職員配置駅。 終着駅。
 1968年(昭和43年)10月頃
  駅舎改築。
 1978年(昭和53年)615
  貨物扱い廃止。
 1983年(昭和58年)228
  荷物扱い廃止。
  無人駅化。
 1987年(昭和62年)41
  国鉄分割民営化によりJR東日本の所属駅となる。

所在地
 新潟県岩船郡関川村大字金丸。
  緯度・経度(10進数) : 38.066689, 139.663531
  開業時は、新潟県岩船郡関谷村大字金丸。
接続バス  【落合】バス停留所
  場所 : 駅の東約3.2km。 山形県道15号沿い。
  運行 : 小国町営バス
   ・南部線、足中線。
駅周囲
その他

 山間の谷間を米坂線はぼ南北に走っており、東から山地、
 荒川、国道113号線、米坂線、山地という非常に狭い
 地形に駅がある。
 駅周囲に民家はない。
 駅の南側には金丸鉱山の選鉱場跡があり、金丸集落は
 更にその南にあって、駅からは800mほど離れている。
 集落内にはかつて 『関川村立金丸小学校』 があり、
 金丸鉱山の従事者の子供達が多く通っていたが、
 鉱山の衰退と共に2001年(平成13年)に閉校している。
 跡地にはコミュニティーセンターの 『関川村片貝ふれあい
 自然の家』 が建っている。
 米坂線は当駅と玉川口駅(廃駅)の間で、
 山形-新潟の県境を超える。

 
 
 
 
 
 
20108月 撮影  

 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
越後金丸駅 駅舎。
利用者もそれほど多くないと思われるが、1968年(昭和43年)築の立派な駅舎を有する。

立地の関係もあり駅近隣に民家はなく、近くの金丸集落は南へ800m程の道のりにある。
駅が集落から離れているのは、『金丸鉱山』 から運び込まれた鉱石を搬入・搬出するために、
都合の良い位置に駅を設けたためで、旅客よりも貨物輸送が中心の駅であった。
大きく立派な駅舎は鉱石の貨物輸送で賑わい、多くの駅員がいた名残とのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
駅舎内にて駅出入口方向を見る。
閉鎖された出札窓口と小荷物窓口が残っている。
中央のグリーンのポスターが貼ってある所が出札窓口跡であろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
同じく駅舎内にてホーム方向を見る。
掲示物はあるが、少し無機質感が漂っている。
有人駅時代に建てられた駅舎であるが、改札窓口やラチはない。
 
 
 
駅舎南側に残る出入口。 夜間出入口であろう。
奥に見える跨線橋はコンクリート造で1984年(昭和59年)の竣功とのこと。
また、左手に貨物ホームが残る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上り1番のりば駅舎前より、上り米沢方面を見る。
長大なホームはないが、旧国鉄の乗換駅のような雰囲気がある。
 
 
   
下り2番のりば北端(越後片貝寄り)から、下り坂町方面を見る。
ホームのスロープ端は、かつての構内踏切跡と思われる。
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下り2番のりば北側(越後片貝寄り)から、駅全景と上り米沢方面を見る。  
 
 
下り2番のりば北側(越後片貝寄り)から、構内の分岐と下り坂町方面を見る。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上り1番のりば駅舎前付近より、上り米沢方面を見る。  
 
 
下り2番のりば西側(山側)には廃線跡がある。
ホームは旅客乗降用の島式にはなっておらず、
路盤は主に貨物線として使用されていたようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下り2番のりば中程の構内跨線橋階段前より、上り米沢方面を見る。
待合室の柱に小さく ”2番のりば” と表示があるが、他に大きなのりば番号の表示はない。
 
 
   
 
上り1番のりば南端(小国寄り)から、下り坂町方面を見る。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下り2番のりば中程の構内跨線橋階段前西側(山側)より、上り米沢方面を見る。
1977年(昭和52年)10月撮影の航空写真には、この路盤に側線が1線写っている。
かつては駅北方の 『金丸鉱山・上ノ沢鉱業所』 から荒川を越えて当駅南側の貯鉱棟へ
延長4,650mの索道が開設されており、鉱山からの鉱石は索道と人力にて運搬されていた。
鉱業所付近には1966年(昭和41年)当時で3893人程の 『上ノ沢集落』があり、
『関川村立金丸中学校・小学校上ノ沢分校』 があったが、鉱石(長石)需要の減少により
中学校は1969年(昭和44年)9月、小学校は1975年(昭和50年)3月にそれぞれ閉校している。
尚、索道は 120t/日の運搬能力があり、貯鉱棟へ鉱石を運搬した復路は、
集落への生活物資を運搬していたとのこと。 現在 『上ノ沢集落』 に住人はいない。
この側線先にあった金丸鉱山からの索道駅は、1975年(昭和50年)頃に撤去されたようだが、
右奥(西の山側)には、現在でも貯鉱棟が廃墟となって部分的に残っている。
 
 
 
下り2番のりば南端(小国寄り)から、下り坂町方面を見る。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
建植型駅名標。
駅名は開業時の地名である 『岩船郡関川村大字金丸』 より字名が採用されている。
尚、字名である 『金丸』 は1889年(明治22年)4月の町村制施行に伴い
『九箇谷(くかたに)村』 に合併され消滅した 『金丸村』 の村名が残ったものである。
また 『九箇谷村』 は、1901年(明治34年)11月に岩船郡関村、七箇谷村との
合併により 『関谷(せきたに)村』 となり消滅。
更に『関谷村』は 1954年(昭和29年)8月に岩船郡女川村と合併し
『関川村』 となり消滅している。
 
 
 
 
 
下り2番のりば南端(小国寄り)から、両開き分岐と上り米沢方面を見る。
正面の 『踏34』 踏切を右手(西側)に入ると 『金丸鉱山』 の選鉱場跡がある。
選鉱場では鉱山から運ばれた鉱石の鉱種や品位について選別が行われたとのこと。
当駅からの鉱石(長石や珪石)輸送は坂町から羽越本線を経由し、
名古屋方面の陶磁器製造地域に2,000t/月の鉱石が輸送されたようである。
よって、鉱石を積んだ貨物列車は、駅舎側から上り米沢方面に向かう貨物ホームでは無く、
下り2番のりば西側(山側)の側線から北側の下り坂町方面に向けて発車していたことになる。
尚、当時の写真資料によると、側線は上下方向とも右側の下り線より分岐していた。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
駅舎南側(小国寄り)の旧貨物側線脇より、貨物ホームと下り坂町方面を見る。  
 
 
 
 
駅舎南側(小国寄り)の貨物ホームより、上り米沢方面を見る。
左側が上り1番のりばである。
かつては2線程度の貨物側線を有したようである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
駅舎脇に残る安全旗ポールの土台。  
 
 
 
 
 
駅舎前より北側を見る。
600m程先に見える赤いトラス橋は、村道前瀬線の 『前瀬橋』 である。
村道は800m程先の小集落で行き止まっている。
『金丸鉱山・上ノ沢集落』 へは、直進し 『龍の髭トンネル』 先の 『上ノ沢橋』 を渡って右折、
林道を東へ進んで行くが、現在は途中で通行止めとなっている。
鉱山が開設されていた当時でも 2トン車がやっと通れる道幅で
離合場所もほとんどなかったとのことだ。
 
 
 
 
 
 
   
   
   
   
   
   
  駅舎前より南側を見る。 国道113号線と荒川が目の前である。
金丸集落はこの先から一般道を右へ入り、『踏34踏切』 を渡って
選鉱場跡を抜けた先にあり、当駅より
800m程の距離にある。
 
   
   
 

廃・玉川口

越後片貝
 
HOME駅のある風景甲信越東北米坂線越後金丸駅