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| 2010年8月 撮影 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 手ノ子駅
駅舎。 開業時からの木造駅舎であるが、現在と1976年(昭和51年)当時の航空写真を比較すると、 駅舎が半分くらいの大きさになっている。 妻面(両サイド)が切断処理されたようだ。 |
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| 駅舎壁面の建物財産標。 1987年(昭和62年)12月に改修とある。 駅舎を無人駅用に小さくしたときのものであろう。 |
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| 駅舎内の様子。 正面の窓は出札窓口、ホワイトボード部分は手荷物窓口跡であろうか? 右手がホーム方向。 |
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| 同じく駅舎内の様子。 規模を縮小した駅舎だが、それでも十分すぎるほどの広さを有している。 |
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| ホーム北端(羽前椿寄り)から、下り坂町方面を見る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム北端(羽前椿寄り)から、上り米沢方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ホーム北寄り(羽前椿寄り)から、下り坂町方面を見る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム中程の駅舎前付近より、上り米沢方面を見る。 写真右手に見える建造物の建物財産標には 『鉄 詰所 24-2 平成元年12月』 とある。 |
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| ホーム中程の駅舎前付近より、下り坂町方面を見る。 右手に旧上りホームと旧上り本線が横取り線となって残っている。 |
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ホーム南寄り(羽前沼沢寄り)から、上り米沢方面を見る。 交換設備があった当時の航空写真を見ると、左手の旧上りホームの スロープ下付近から駅舎前にかけて構内踏切(と思われる)が確認出来る。 |
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| ホーム南端(羽前沼沢寄り)から、下り坂町方面を見る。 線路左側の草地は、かつての貨物側線の路盤である。 貨物扱いのあった1972年(昭和47年)撮影の手元の写真資料では、貨物側線1線、 無蓋車2両(積載物は不明)、盛土式の貨物ホームと、ホーム上に貨物倉庫が確認出来る。 |
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| ホーム南端(羽前沼沢寄り)から、上り米沢方面を見る。 交換設備があった当時は相対ホーム2面2線で、上りホーム外側(西側:写真左手)に もう1線の側線を有し、計2面3線の配線であった。(手元の写真資料にて確認) 交換設備が撤去された時期は明確でないが、1975年(昭和50年)12月の 無人駅化により、信号扱いが出来なくなっており(当駅のCTC化は1983年)、 無人駅化以降、上り本線は使用されていなかったものと思われる。 |
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| ホームより駅舎を見る。 妻面(両サイド)は左右対称の形状をしており、 とても切断処理されたとは思えない外観をしている。 |
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| 建植型駅名標。 駅名は開業時の地名である 『西置賜郡豊川村大字手ノ子』 より 字名が採用されている。 尚、字名である 『手ノ子』 は1889年(明治22年)4月の町村制施行に伴い 『豊川村』 に合併され消滅した 『手ノ子村』 の村名が残ったものである。 また 『豊川村』 は 1954年(昭和29年)10月の合併により、飯豊村となり消滅している。 尚、『手ノ子村』 とは変わった村名であるが、由来には 『出の郷』 : 出来たばかりの郷(新しい村)の当て字という説と、 『手ご』 と呼ばれる荷負い労働者が集落に多くいたことから の2説ある。 私見としては、越後街道・宇津峠の麓に位置し、江戸時代には交通の要衝として栄えた 手ノ子宿から、宇津峠を越えて小国まで荷車や背負子により商用の荷物を運んだ 『手ごの集落』 説が有力ではないかと考える。 |
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| 駅舎前より東へ延びる駅前通り。 右手に見える大きな建物はJAの支店だが、閉鎖されているようだ。 直進70m程で国道113号線(小国街道)、300m程で山形県道4号米沢飯豊線に出る。 |
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