東 北
日本国有鉄道 日中線(にっちゅうせん)
喜多方
KITAKATA
熱塩
ATSUSHIO
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会津村松
あいづむらまつ
20135月撮影
上三宮
駅一覧へ
喜多方
上三宮
かみさんみや
会津加納
会津村松
20135月撮影
会津加納
あいづかのう
上三宮
20135月撮影
1984年(昭和59年)41日 路線廃止
旧駅前通りより、駅跡方向を見る。
かつてはこの道の突き当たりに上三宮駅舎があった。
尚、駅前通りは当時より拡張されているとのことだが、
写真の舗装の色が白っぽいところが当時の道幅であろうか?
国道459号線が直角に曲がる、コメリ喜多方松山店前交差点より西を見る。
左手の酒店(閉店?)の先、道路右側に小さく見える青い国道標識の
所を日中線は左右(南北)に走っていた。 
また当時は、この道路正面に会津村松駅舎があり、
道路は駅で行き止まりになっていた。(当時の航空写真により確認)
乗換のご案内
JR東日本 磐越西線
郡山 ⇔ 新津
喜多方
きたかた
会津村松
構内跨線橋より磐越西線下り新津・山都方面を見る。
右手の白いフェンスの前が日中線線路跡と旧ホームである。
200911月撮影
蔵の街をイメージした造りの喜多方駅駅舎。
正面玄関左手に観光案内所がある。
駅舎内の様子。
正面に自動券売機とみどりの窓口、駅員さんのいる所が改札口、
右のワゴン販売が出ているところがKIOSKになっている。
1番のりば改札前付近より、磐越西線下り新津・山都方面を見る。
このホームの先に日中線ののりばがあった。
左の写真撮影立ち位置より振り返る。
線路には車止めが設置され、その先は更地になっている。
1番のりば西端より、磐越西線下り新津・山都方面を見る。
旧構内踏切の先、右側が旧日中線ホームである。
一般の立入は禁止となっている。
旧ホームには駅名標が建っている。
(当時使われていたものかは不明)
旧日中線ホーム脇より、熱塩・会津村松方面を見る。
旧日中線ホーム脇より、磐越西線上り会津若松・会津豊川方面を見る。
当時は左側が切り欠きホーム1番のりば、
右側が磐越西線の会津若松方面へ乗り入れ可能な2番のりばだったようだ。
(実質、日中線の会津若松発着の列車設定があったようだ)
日中線で使用されていたと思われる錆び付いた線路。
分岐器から右へ日中線旧2番のりば方面、
1番のりばへは分岐器、線路とも廃されている。
熱塩
熱 塩
あつしお
会津加納
200911月撮影
左上写真のT字路に立ち、県道336号線の起点方向(西側)を見る。
かつてはここに日中線を跨ぐコンクリート橋があった。
線路跡の道路化により、道は平面交差となり、
かつての跨線橋跡には白壁の民家が建っている。
また、跨線橋先を左へ曲がり、県道336号線に出る道もなくなっている。
日中線記念館(旧熱塩駅駅舎)。
貴重な資料が展示されている。 入場無料である。
きっぷうりばと改札口。
きっぷうりばには『訪問記念切符
100円』の張り紙がある。
ホーム側から見た駅舎。
上り喜多方・会津加納方面を向いて撮影。
構内北側に静態保存されている、キ287ラッセル除雪車。
 後ろにオハフ
61客車が連結されている。 車両の状態は良い。
展示車両脇より、駅舎・ホーム方向(上り喜多方・会津加納方面)を見る。
駅舎脇には古い車止めが残る。
駅構内に、一般踏切の跡が残る。
廃線跡は舗装された小径になっている。
円形の人造物は、転車台跡と思われる。
手前の舗装路は廃線跡で、左へ野辺沢川を渡り会津加納方面へ
向かっている。 舗装路は野辺沢川手前で右へ別れて行く。
HOME駅のある風景全国廃線駅日中線(駅一覧) > 日中線
駅名  喜多方(きたかた)
駅構造
 単式ホーム11線、島式ホーム12線、
 計23線の地上駅。
駅舎
 鉄骨構造の地上駅舎。
管理形態
 社員配置。
きっぷ
うりば

 出札窓口 : みどりの窓口(6:0020:00)。
 券売機 : タッチパネル式
2台。

駅内店舗

 有人店舗 : KIOSK。 自動販売機 : 飲料。
 その他 : コインロッカー、観光案内所。

連絡通路
 構内跨線橋。
管轄
 東日本旅客鉄道 仙台支社。
管理
 喜多方駅。
乗車人員  1,164人/日(2009年度平均)。
 1,157人/日(2008年度平均)。
開業日
 1904年(明治37年)120日。
  岩越鉄道岩越線(現磐越西線)の
  喜多方駅として開業。(終着駅)
 1938年(昭和13年)818
  国有鉄道(鉄道省) 日中線の
  当駅 - 熱塩駅間が開業し全通。
 1984年(昭和59年)41
  国鉄日中線が全線廃止。
  会津乗合自動車の路線バスに転換。
 1987年(昭和62年)41
  国鉄分割民営化により、JR東日本の
  駅となる。
所在地
  福島県喜多方市町田下無番地。
備考

 単式ホームと島式ホームを有し、磐越西線
 の中でも比較的利用者の多い駅である。
 かつては当駅から温泉のある熱塩地区
 まで、国鉄日中線が通じていたが、1984
 (昭和59年)に路線が廃止され、バス転換
 となったため、現在は磐越西線の単独駅
 となっている。
 ただし、立入が制限されているが、
 日中線ホームは駅西側端に駅名標と
 共に残っており、構内跨線橋からも確認
 することができる。
 また、日中線跡はサイクリングロードとして
 利用されている。
 磐越西線は、郡山から当駅まで交流電化、
 当駅から新津方面は非電化であり、
 スイッチバックの会津若松駅と並び、
 磐越西線の要衝となっている。
 また、喜多方は、『蔵とラーメンの街』として
 有名であり、駅舎も蔵をモチーフとした造り
 になっている。
 駅は市街地の南端付近に位置し、磐越
 西線は当駅をほぼ東西に走っている。
 駅南側は昭和電工の広大な工場地帯に
 なっている。
 2002年(平成14年)に東北の駅百選に
 選定されている。

駅名  会津村松(あいづむらまつ)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 なし。
管轄
 日本国有鉄道 仙台鉄道管理局
管理
 
乗車人員  18人/日(1981年度平均)
開業日
 1938年(昭和13年)818
  国有鉄道(鉄道省) 日中線の
  会津村松駅として開業。
廃駅日  1984年(昭和59年)41
  国鉄日中線廃止に伴い廃駅。
  会津乗合自動車の路線バスに転換。
所在地
 福島県喜多方市松山町村松。
備考

 廃駅時は木造駅舎、盛土式単式ホーム、
 貨物側線を有する無人駅であった。
 廃駅後約30年が経過し、線路跡は
 『しだれ桜散歩道』としてきれいに整備され、
 駅前通りと駅舎跡は現在国道459号線が
 通っている。
 駅やホーム跡の痕跡は一切残っておらず、
 正確な駅跡の特定は困難であるが、
 国道(駅前通り)と遊歩道(線路)の交点が
 明確であり、また遊歩道脇に貨物線跡が
 更地となって残っているため、おおよその
 配置は把握が可能である。
 場所は、喜多方市中心部の北側、
 国道459号線の喜多方桜ヶ丘郵便局から、
 北へ400m程の国道が西へ直角に曲がる
 交差点(交差点名不明)を西へ50m程で、
 遊歩道(廃線跡)が交差する地点である。
 交差点にはコメリハード&グリーン喜多方
 松山店とセブンイレブン喜多方桜が丘店が
 あり、良いランドマークとなっている。
 おおよその所在地は、喜多方市松山町
 村松字石田1445付近で、公共交通機関での
 訪問は、会津バス23系統、喜多方-坂下線
 『喜多方二中前停留所』下車が近い。

会津村松駅のホーム跡付近より、上り喜多方方面を見る。
会津村松駅付近の廃線跡は『しだれ桜散歩道』として整備されている。
写真の遊歩道左手に単式ホームがあり、ホームに接して、
横切っている道路(国道459号線)上に駅舎があった。
ホーム跡南端付近より、上り喜多方方面を見る。
左手には貨物線跡が更地になって残っている。
尚、遊歩道と更地を分ける植え込みはホーム跡のように見えるが、
遊歩道造成時に作られたものであろう。
尚、この『しだれ桜散歩道』は、この先2.5kmまで続いている。
貨物線跡地より、本線跡方向を見る。
各種資料より、写真中央のしだれ桜のある付近に
ホーム南端があったと思われる。
駅舎跡より、旧駅前通り(現国道459号線)を見る。
当時の航空写真を見ると、駅周囲は田畑が多く、
現在では駅を取り巻く道路も随分変わってしまっている。
駅舎跡付近より、西へ延びる国道459号線を見る。
駅があった当時は、道は駅前で行き止まりになっており、
航空写真を見ると、この部分は田畑であった。
道は廃駅後に延伸されたものである。
駅跡南側より、下り熱塩・上三宮方面を見る。
白いクルマが見えるあたりが駅舎跡になる。
遊歩道は右の貨物線跡地へ分岐しているが、
線路の分岐跡にしては角度が急であり、
廃線後に新しく作られた道であると思うが・・・ ?
ホーム跡南端付近(推定)より、下り熱塩・上三宮方面を見る。
右手に単式ホームと駅舎があったが、その痕跡はまったく残っていない。
せっかくきれいな遊歩道なのだから、駅跡の碑や駅名標のような
表示があった方が良いと思うのは私だけ?
ホーム跡北端付近(推定)より、下り熱塩・上三宮方面を見る。
遊歩道右手に単式ホームがあった。
各種資料によると、遊歩道の中心部に線路があったようで、
路盤 = 遊歩道ということらしい。
遊歩道はこの先500m程まで続いている。
駅名  上三宮(かみさんみや)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 なし。
管轄
 日本国有鉄道 仙台鉄道管理局
管理
 
乗車人員  5人/日(1981年度平均)
開業日
 1938年(昭和13年)818
  国有鉄道(鉄道省) 日中線の
  上三宮駅として開業。
廃駅日  1984年(昭和59年)41
  国鉄日中線廃止に伴い廃駅。
  会津乗合自動車の路線バスに転換。
所在地
 福島県喜多方市上三宮町上三宮。
備考

 廃駅時は木造駅舎、盛土式単式ホーム、
 貨物側線を有する無人駅であった。
 廃駅後約30年が経過し、線路跡は
 福島県道335号大平喜多方線として
 整備されている。
 駅やホーム跡の痕跡は一切残っておらず、
 正確な駅跡の特定は困難であるが、
 旧駅前通りが残っており、おおよその位置は
 推定が可能である。また、貨物線跡等は
 痕跡が僅かで非常にわかりにくい

 場所は、福島県道335号大平喜多方線の
 願成寺橋から県道を道なりに北西へ
 300m程進んだ、右手から一般道がT字路
 として合流して来る地点である。
 かつての押切川には道路の願成時橋と
 日中線の押切川橋梁が並行して架かって
 いたが、日中線廃線後は一般道の橋は
 廃され、新たに県道として押切川橋梁が
 道路橋の願成寺橋として架け替えられ、
 その先は廃線跡が県道になっている。
 ランドマークは直近ではないが、願成寺橋と
 上三宮郵便局である。
 また、おおよその所在地は、喜多方市
 上三宮町上三宮字大道下3715付近で、
 公共交通機関での訪問は、会津バス
 23系統喜多方-坂下線『上三宮小学校前』
 停留所下車すぐである。

上三宮駅跡。
道路工事により下り坂になり、 鉄道があった痕跡は一切残っていない。
左右(東西)に走る道路(福島県道335号大平喜多方線)が日中線跡である。
かつての駅舎裏手(ホーム側)より、上り喜多方・会津村松方面を見る。
ホームの喜多方側に貨物側線があったらしく、かつての航空写真を見ると、
写真中央寄りのシャッターがある建物の部分が旧貨物積卸場と思えるが、
地元の方のお話によると、駅舎は元々シャッターのある建物と同じ高さに
あり、路盤跡に県道を通すにあたり、駅舎を撤去し、その部分の地面を
削って下り坂とし、駅前通りを県道と繋げたたものだそうだ。
よって、旧貨物積卸場は、シャッターのある建物の向こう側にあったようだ。
駅跡東側より、上り喜多方・会津村松方面を見る。
わかりにくいが、道路がカーブしている所が願成寺橋になる。
また、写真手前側の草地が旧貨物線跡(貨物積卸場跡)である。
地元の方のお話を伺わなければ見過ごしていた場所だ。
願成寺橋(がんじょうじはし)西側より、上り喜多方・会津村松方面を見る。
阿賀野川水系押切川に架かる願成寺橋は、日中線の押切川橋梁を
道路橋として架け替えたもので、旧道路橋は現願成寺橋の
左手(北側)に並行して架かっていた。 願成寺橋の完成により
上三宮地区のメインストリートが日中線跡の県道に変わってしまった。
尚、写真左端に写っているガードレールに沿って左(北)へ進むと
上三宮地区の旧メインストリートに出ることができる。
尚、旧道路橋や願成寺橋に撤去や架替えの跡は見当たらない。
上三宮地区の旧?メインストリートに立ち、東側(喜多方方面)を見る。
この道を直進で願成寺橋、右が旧駅前通りである。
ホーム跡と思われる位置に立ち、北に延びる旧駅前通りを見る。
倉庫等があり、何となくらしさが残っていると言えばそれらしく
見えるが、興味がなければ気づかない風景である。
かつての駅舎裏手(ホーム側)より、下り熱塩・会津加納方面を見る。
右手に旧駅前通りが見える。
尚、駅跡は県道脇の【上三宮→】の標識がよい目印になる。
県道の左側(撮影立ち位置)に路盤跡のような築堤がある農道が
走っており、こちらが廃線跡のようにも見える。
しかし、駅構内は通常平坦であり、築堤がある路盤があったことは
考えにくいため、線路に沿った昔からの農道であろうと思われる。
駅跡東側の願成寺橋付近より、下り熱塩・会津加納方面を見る。
上三宮駅跡はこの先になる。  県道は二車線の幅があり、
道のどのあたりに線路が敷設されていたかは不明である。
上三宮地区の旧?メインストリートに立ち、西側(熱塩方面)を見る。
写真中央の木を左へ旧駅前通りである。 商店等は少ない。
【しだれ桜散歩道】
散歩道には駅名標を模した説明板や蒸気機関車、
ディーゼル車両等が静態保存されている。
ただ、保存車両に説明板の設置がなく、いつどこでどのように
活躍したものか不明であり、貴重なものだけにたいへん残念である。
蒸気機関車展示場所前より、下り熱塩・会津村松駅跡方向を見る。
延長3.0kmの散歩道は、この先会津村松駅跡の先まで1.8kmに渡り続いている。
残念だが会津村松駅跡には表示がなく、駅跡は大変わかりにくい。

日中線の廃線跡は、『しだれ桜散歩道』として会津村松駅跡付近を中心に延長3kmに渡ってきれいに整備されており、

観光客はもとより、市民の散歩公園として利用されている。(その他、廃線跡等を利用した会津若松・熱塩温泉自転車道(県道392号線)も整備されている)

歩道途中には日中線で活躍した蒸気機関車とディーゼル車両が静態保存され、公衆トイレなども設置されている。

蒸気機関車(C1163号機)の展示場所は、会津村松駅跡から喜多方方面(南方面)へ散歩道を1.3kmの地点で、

押切川公園の東、県立喜多方商業高校の北側になる。

公共交通機関を利用して訪問する場合、会津バス21系統・坂下営業所-鎧召-喜多方営業所線の

『労働基準監督署前』または『花園町』停留所下車、西へ徒歩5分程度、もしくは、喜多方駅周辺からのレンタサイクルが便利だ。

20135月撮影
駅名  会津加納(あいづかのう)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 有人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 なし。
管轄
 日本国有鉄道 仙台鉄道管理局
管理
 
乗車人員  36人/日(1981年度平均)
開業日
 1938年(昭和13年)818
  国有鉄道(鉄道省) 日中線の
  会津加納駅として開業。
廃駅日  1984年(昭和59年)41
  国鉄日中線廃止に伴い廃駅。
  会津乗合自動車の路線バスに転換。
所在地
 福島県耶麻郡熱塩加納村大字加納。
備考

 廃駅時は高い三角屋根の木造駅舎、
 盛土式単式ホーム、貨物ホーム、および
 複数の貨物側線を有する有人駅であった。
 廃駅後約30年が経過し、線路跡は
 福島県道335号大平喜多方線として
 整備されている。
 駅やホーム跡の痕跡は一切残っておらず、
 正確な駅跡の特定は困難であるが、
 旧駅前通りが残っており、おおよその位置は
 推定が可能である。貨物線跡等は
 痕跡が僅かで、非常にわかりにくい
が、
 往時を知る地元の方によると、かつては
 鉱山(与内畑鉱山と思われる)からの石膏
 輸送が盛んで、駅構内には積み込み場も
 あったとのことだ。
 場所は、福島県道335号大平喜多方線の
 熱塩加納郵便局の北100m程で、喜多方
 市立加納小学校から道を1本挟んだ西側の
 地点である。
 駅は線路跡の県道335号の東側にあった。
 (日中線跡が県道になったため、駅前通りが
 接する旧県道は村道に降格したとのこと)
 また、当時はホームのすぐ北側を
 県道336号熱塩加納会津坂下線が
 オーバーパスしていたが、これも線路の
 道路化により、平面交差になった。
 ランドマークは前述の熱塩加納郵便局と
 加納小学校である。
 また、おおよその所在地は、喜多方市
 熱塩加納町加納村東甲1789付近で、
 公共交通機関での訪問は、会津バス
 23系統喜多方-坂下線『加納』停留所下車
 すぐである。

【日中温泉】
道路の分離帯に立ち、下り熱塩・会津加納方面を見る。
写真中央付近の高い樹木の手前付近が会津加納駅跡になる。
道路の分離帯に立ち、上り喜多方・上三宮方面を見る。
会津加納駅跡の200m程南側(上三宮駅跡寄り)の廃線跡。
道路の分離帯に日中線の線路が部分的に残されている。
左へカーブしている道が、福島県道335号大平喜多方線・上三宮方面、
直進は日中線跡で、村道になっている。
加納地区の旧県道335号線(現村道)より、旧駅前通りと駅跡方向を見る。
かつてこの道の突き当たりに会津加納駅舎があった。
駅舎跡に立ち、東に延びる短い旧駅前通りを見る。
(私有地のため許可を得て立ち入り、撮影)
左手は民家、右手は田んぼである。
突き当たりを左右(南北)に走る村道沿いに数件の商店と郵便局がある。
駅跡南寄りから、下り熱塩方面と会津加納駅跡を見る。
当時の写真によると、道路右手に駅舎と単式ホーム
(切り欠き貨物ホームを併設)、左手の路側帯に貨物側線があった。
尚、撮影立ち位置後方には石膏の貨物積み込み場があったとのこと。
ホーム跡北端と思われる付近より、上り喜多方・上三宮方面を見る。
駅があった痕跡はまったくなく、下調べをして来なければわからないであろう。
ホーム跡南端と思われる付近より、上り喜多方・上三宮方面を見る。
写真中央を横に走る道路と、歩道の空き地部分は貨物側線跡だそうだ。
(地元の方に確認済み)
旧メインストリートである村道(旧県道335号線)より、
北側(熱塩方面)を見る。  旧駅入口は非常にわかりにくく、
写真中央の民家と、手前の電柱の間を左へ進むと旧駅舎跡である。
道路脇には『私有地』の看板が出ている。
日中線記念館(旧熱塩駅駅舎)内に展示保存されている駅名標。
旧メインストリートである村道(旧県道335号線)より、
南側(上三宮方面)を見る。
写真中央、『前方に横断歩道があることを示す白いひし形のマーク』
の所を右手へ旧駅前通りが伸びている。
尚、村道先の白い軽トラが停まっている所に、熱塩加納郵便局がある。
会津加納駅跡。
舗装の色が白っぽくなっている所が、駅舎跡である。(地元の方に確認済み)
現在は私有地になっているため、農業機械等が置かれている

駅舎跡は元々私有地だったものを当時の国鉄が買収、
廃線後は村有地となり、その後村から元の地主に譲渡されたとのことだ。
ブルーの庇の前の道路(福島県道335号大平喜多方線)が日中線跡である。
旧メインストリートである村道(旧県道335号線)より、
南側(上三宮方面)を見る。 駅入口は100m程先になる。
(上の写真の撮影位置より、100m程後退)
右手へ入る道は、福島県道336号熱塩加納会津坂下線の起点へ
続く道であり、かつては日中線を跨ぐ跨線橋があった。(右下写真へ)
駅名  熱塩(あつしお)
駅構造
 単式ホーム11線の地上駅。
駅舎
 木造の地上駅舎。
管理形態
 無人。
きっぷうりば

 出札窓口 : −。  券売機 : −

駅内店舗

 有人店舗 : −。  自動販売機 : −。

連絡通路
 なし。
管轄
 日本国有鉄道 仙台鉄道管理局
管理
 
乗車人員  63人/日(1981年度平均)
開業日
 1938年(昭和13年)818
  国有鉄道(鉄道省) 日中線の
  熱塩駅として開業。
廃駅日  1984年(昭和59年)41
  国鉄日中線廃止に伴い廃駅。
  会津乗合自動車の路線バスに転換。
所在地
 福島県耶麻郡熱塩加納村大字熱塩。
備考

 現在でも洋風の木造駅舎、盛土式単式
 ホームが残っており、現在日中線記念館
 として保存されている。
 廃駅時は無人駅であった。
 廃線時の駅舎はかなり荒廃していたとの
 ことだが、時代の雰囲気を残したリフォーム
 が施されたようだ。
 駅舎内部は資料展示室や休息室が設け
 られ、構内も線路は廃されているものの、
 自由に散策ができるよう、公園的な広場に
 なっている。
 構内北側には、キ287ラッセル除雪車と
 オハフ61客車が静態保存され、車両内部
 の見学も可能である。
 また、構内南端には転車台を廃したと
 思われる円形の凹地が残っている。
 場所は、福島県道333号日中喜多方線の
 熱塩温泉郵便局前から小径を西へ少し
 入ったところにあり、県道には
 『日中線記念館』標識も出ている。
 現在の所在地は、喜多方市熱塩加納町
 熱塩字前田乙602-2である。
 
以前は会津バス22系統千石沢(日中)線の
 『日中線記念館前』停留所が近傍にあった
 ようだが、2012年(平成24年)930日を
 もって路線が廃止されたとのことだ。
 訪れる人は少ないと思っていたが、
 見学者はそこそこいるようだ。
 無料の駐車場があり、入場も無料である。

駅舎は木造建築で、ガラス戸の窓枠も木製である。
ホーム北側に残る駅名標。
実際に使われていた駅名標と思われる(当時の写真にて確認済み)
HOME駅のある風景全国廃線駅日中線(駅一覧) > 日中線
日中線の名前の由来となった日中温泉。
日中ダム堤体の直下にある一軒宿で、1813年(文化10年)開湯。
日中ダムの建設で温泉は水没し、一度は途絶えたが、
1993年(平成5年)に新源泉を発掘し再開湯。
『日本秘湯を守る会』に所属する。
源泉温度が約40℃の低い『ぬる湯』が売りらしい。(もちろん加熱湯もあり)
長老はぬるい湯が好きなので、なんかい〜感じだなぁ〜。
『日中ひざわ湖』
阿賀野川水系一級河川押切川上流に建設された
日中ダムによりせき止められたダム湖である。
日中ダムは堤高101mのロックフィルダムで、洪水調節・灌漑・水道用水の供給、
及び発電を目的とした多目的ダムである。
日中ダム堤上より、日中温泉を俯瞰する。
ひなびた温泉宿の雰囲気はないが、周囲に集落や商店はなく秘境度は高い。
路線バスは通っておらず、アクセスはタクシーや自家用車が基本であるが、
宿から会津バスの『熱塩温泉』停留所への送迎があるようだ。
 日本国有鉄道 日中線 廃線 廃駅 : 喜多方駅会津村松駅上三宮駅会津加納駅熱塩駅日中温泉