駅のある風景 西日本旅客鉄道 山陰本線 J : 柴山駅、香住駅、鎧駅、餘部駅、久谷駅 | ||||||||
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2022年8月 撮影 |
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柴山駅
駅前の風景。 左手が駅舎、右手は香美町が2014年(平成26年)建設した公衆トイレ。 |
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柴山駅駅舎。 待合室の機能のみ持ったコンクリート打ちっ放しの駅舎である。 |
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駅舎壁面の建物財産標。 現駅舎は2020年(令和2年)1月下旬より供用開始されている。 かつては築70年を越える木造駅舎が存在したが、 2018年(平成30年)11月に解体され、現在に至っている。 |
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待合室内の様子。 4人分のベンチがあるのみで、空調設備はない。 冬場の松葉ガニの季節は、入りきれない観光客もあり、 雪の中、ホームで列車を待つ姿も見られるとか。 |
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ホーム西端(香住寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム西端(香住寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 2001年(平成13年)3月に使用廃止された右手の旧1番線は 既に本線とは分離されている。 ホーム先には旧構内踏切の踏み板が部分的に残っている。 |
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ホーム中程の駅舎前付近より、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム東端(佐津寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム中程の駅舎前付近より、下り浜坂・鳥取方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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建植式駅名標。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム東端(佐津寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駅前にて西側を見る。 右手にバリアフリー用の出入口がある。 この先は1車線ほどの道幅の道路が海側の浦上集落へ続いている。 |
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駅前にて西側を見る。 右手に木造の駐輪場がある。 駅は集落よりも高い位置にあり、東西どちらへ向かっても下り坂となる。 正面に続く駅前通りは、延長369mの兵庫県道163号柴山停車場線で、 当駅前を起点とし、海沿いを走る県道11号香美久美浜線との 交差点を終点としている。 |
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2022年8月 撮影 |
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香住駅
駅舎。 大きな駅舎を有する。 駅舎前の通路全体に上屋が設置されているため、 駅舎全容がわかりにくい。 |
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駅出入口。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駅舎内の様子。 『みどりの券売機プラス』 が設置され、券売機前にパイプ椅子が 置かれている。 コールセンターへの問い合わせが長時間になるから? 撮影立ち位置後方には待合室が設置されている。 |
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待合室内の様子。 「トワイライトエクスプレス瑞風」停車に合わせて、2021年(令和3年)10月に 完成したもので、JRから貸与を受けて香美町が改修したものである。 (設計は地元の高村設計事務所)。 奥には駅ピアノが置かれている。 |
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上り1番のりばより、改札口を見る。 改札上部には町の象徴である大きなかにのモニュメントがある。 大阪のかに料理専門店 『かに○○』 の動く看板のようにも見える。 |
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構内地下通路の様子。 無人駅であるが、ポスターが掲示されている。 |
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2番のりば西端(鎧寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 長いホームの両端にはフェンスが設置され、立入が制限されている。 |
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上り1番のりば西端(鎧寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 ホーム左右の小屋のような建物は、構内地下通路の昇降口である。 |
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上り1番のりば中程より、下り浜坂・鳥取方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上り1番のりば中程より、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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3番のりば中程より、下り浜坂・鳥取方面を見る。 構内に留置されている赤い車両は除雪車である。 |
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上り1番のりば東端(柴山寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 | ![]() |
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2番のりば東端(柴山寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2・3番のりばには木造の上屋が残る。 | ![]() |
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駅舎東側に残る貨物ホーム。 かつては香住漁港に水揚げされた海産物が出荷されたとのこと。 |
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駅舎側より貨物ホームを見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2番のりばの建植式駅名標。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅舎と貨物ホームの間に設けられた古い上屋。 輸送貨物の一時置き場に使われたと思われる。 |
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駅舎壁面(1番のりば側)の名所案内。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅前ロータリーの様子。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2022年8月 撮影 |
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鎧駅
駅舎。 出入口左手が待合室、右手がトイレになっている。 |
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駅舎壁面の建物財産標。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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きれいに管理された待合室内の様子。 地元の自治会の方々が清掃などを行っているようだ。 |
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待合室内に置かれた駅ノート。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム側より駅舎を見る。 駅舎出入口前すぐに構内地下通路の昇降口がある。 また、駅舎と一体化するように上屋が設置されている。 |
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構内地下通路の様子。
通路幅が狭いため、少し閉塞感を感じる。 当駅は2012年(平成24年)に棒線化されたが、 相対ホーム(旧1番線)側からは日本海・鎧漁港が展望できるため、 観光用にこの地下通路が残されているとのことだ。 |
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ホーム西端(餘部寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 Wikipediaによると、2008年のダイヤ改正と同時に すべての列車は 駅舎側の2番線に発着、2012年の秋頃に分岐器が撤去された後、 1番線のレールも撤去されたとのこと。 尚、1番のりば東端には小さな 待合室が設置されていた。 右手には旧貨物ホームが残っている。 |
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ホーム西端(餘部寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 右手の旧1番のりばはフェンスにより立入が制限されている。 ホーム先には 『赤島トンネル』 入口が見える。 |
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ホーム中程より、上り豊岡・京都方面を見る。 左手(旧1番のりば側)の地下通路昇降口の先には、海沿いの集落へ 下りる小径が続いており、昇降口も集落方向を向いて作られている。 ただし、その小径も駅舎側から見ると旧プラットホームを利用した ものと判別できる。 1947年(昭和22年)9月撮影の航空写真には 現地下通路の付近に構内踏切が写っており、地下通路が 完成する以前の千鳥式相対ホームの遺構ではないかと推察する。 |
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駅舎対面の小径より、下り浜坂・鳥取方面を見る。 正面の電柱には 白/オレンジ色の看板があり、『瑞風 始点』 とある。 詳細は不明であるが、『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』 に向け、 絶景ポイントに於ける徐行開始を促す標識のようだ。 撮影立ち位置右手後方には、かつてのインクラインの遺構が残る。 |
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ホーム東端(香住寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 Wikipediaによると、『1番線の場内・出発信号機自体は、2009年頃まで 稼動していたが、2010年3月現在では使用を停止している。』 とある。 当駅のホーム前後には信号機が設置されているが、 閉塞信号機として新たに設置されたものであろうか。 |
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ホーム東端(香住寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 立地上 横幅はそれ程でもないが、線路方向の構内はかなり長い。 |
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建植式駅名標。 駅名は近くの海岸にある 『鎧の袖』 から。 |
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駅舎西側に残る貨物ホーム。 その大きさより当時の繁栄振りが窺える。 |
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旧1番のりば側」の展望地。 石碑には 『天然記念物 釣鐘洞門 西北海上三十町』 とあり、 側面には、『指導標 施設主 餘部村』 とある。 尚、『釣鐘洞門』 は、香住漁港、東港香住港などから遊覧船または 海上タクシーにて見学可。 また、餘部村は1955年(昭和30年)3月25日、 奥佐津村・口佐津村・長井村と合併して香住町に編入されている。 |
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『釣鐘洞門碑』 後方より 『鎧漁港』 を俯瞰する。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駅前より東側(香住方面)を見る。 左手が駅舎。 この駅前通りは、延長1385mの 兵庫県道166号鎧停車場線で 当駅前を起点とし、兵庫県道4号香住村岡線との交差点を終点と している。 尚、道路は撮影立ち位置後方150m程で行き止まっている。 |
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2022年8月 撮影 |
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残された旧線上の構内踏切より、下り浜坂・鳥取方面を見る。 旧盛土式ホームは正面に延びる線路左手の現通路部分にあった。 撮影立ち位置後方には架け替え前の橋梁部分を利用した 『空の駅』 が延びており、当写真は『空の駅』の橋梁側から駅方向を 撮影したものである。 また、左手のホームへの通路および旧線も 兵庫県が管理する 『空の駅』の施設となっている。 尚、構内踏切右手にあった集落への山道は廃されている。 |
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ホーム中程の駅出入口前より、上り豊岡・京都方面を見る。 写真右手が新たな駅出入口、左手が新たに作られた集落への道である。 尚、正面の石碑には 『余部鉄橋 空の駅』 とあり、付け替え前の 線路が路盤ごと残され、線路上の歩行が可能になっている。 |
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駅出入口脇に設置されたCB(コンクリートブロック)造の待合室。 | ![]() |
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待合室内の様子。 ベンチの間の白いカゴには 『駅ノート』 が入っていた。 |
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ホーム東端(鎧寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 右手が新橋梁へ続く新線、左手が付け替え前の旧線である。 |
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ホーム東端(鎧寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム中程のトイレ前より、上り豊岡・京都方面を見る。 | ![]() |
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ホーム東寄り(鎧寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 旧橋で使用されていた鋼材を利用したベンチが置かれている。 |
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ホーム西端(久谷寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム西端(久谷寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 右手に線路付け替え前の路盤が残る。 |
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建植式駅名標。 駅名の『餘部』は、1930年(昭和5年)開業の姫新線 余部駅(よべえき) との重複を避けるためとなっている。 当駅開業は1959年(昭和34年)4月で 由来は平安時代からの地名の 『余戸(アマルヘ)』 から。 |
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駅と余部集落・道の駅あまるべを結ぶ山道。 分岐点が数ヶ所あるが、標識が完備しており迷うことはない。 |
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『余部橋梁撮影スポット』という展望台から、駅全景を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『道の駅あまるべ』
から駅へ向かう山道にて、余部橋梁を見る。 老朽化した橋梁は、2010年(平成22年)8月に掛け替えられ、 コンクリート橋となったが、餘部駅側の3本の橋脚は補強・補修・ 現地保存となり、2013年(平成25年)5月に余部鉄橋 『空の駅』 展望施設 としてオープンした。 『空の駅』まではクルマの通れない山道のみ通じて いたが、利用者の利便性向上のため、2017年(平成29年)11月26日、 エレベーターが建設され、『余部クリスタルタワー』として整備されている。 |
『余部クリスタルタワー』
地上側昇降口。 JR西日本の所有物ではないが、駅舎と間違える観光客もいるのでは? |
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地上側昇降口内部の様子。 特に何もなく、エレベーターの昇降口があるのみ。 隅には、『空の駅スタンプ』 と手指の消毒液が置かれている。 |
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タワー橋上側昇降口前付近より、『空の駅』
と餘部駅方向を見る。 『空の駅』 は餘部駅へ直結しているため、今まで急な坂道を使用し 駅へ向かっていた通勤・通学利用者は、エレベーターによるアクセスが 可能になった。(エレベーターの稼働時間は6:00〜21:30、料金は無料) |
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『空の駅』
にて終端部(上り豊岡・京都方面)を見る。 空中に突き出した線路が印象的である。 |
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『余部橋梁撮影スポット』から、『余部橋梁』
を見る。 初代の旧橋梁は309.42m、高さ41.45mの鋼製トレッスル橋で、 1986年(昭和61年)12月には、日本海からの風速33m/s の突風により、 機関車を除く全客車が台車の一部を残して、橋梁中央部付近より 転落した。 香住駅より浜坂駅への回送列車であり、乗客は いなかったが、橋梁下の水産加工工場と民家を直撃し、工場の 従業員の女性5名と、列車に乗務中の車掌1名の計6名が死亡、 客車内にいた日本食堂の車内販売員3名と、工場の従業員3名の 計6名が重傷を負う大事故があった。 2代目の現橋梁は、全長310.6m、高さ41.5mのエクストラドーズドPC橋と なっており、高さ1.7 mの防風壁が設置され、風速30m/sまで 列車運行を可能とし、将来的に電化された場合にも対応できる構造と なっている。 橋の両側の入口には、風速計と強風規制を示す 特殊発光機が旧橋梁に引き続き設置された。 |
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橋梁の東側(鎧側)には、延長116.68mの
『東下谷トンネル』がある。 新橋は、旧橋より約7m南側(内陸側)に架設されたため、 線路にも半径300mのS字カーブが設けられた。 橋への進入速度は、旧橋では下り50 km/h、上り25 km/hに規制されて いたが、新橋ではS字カーブのために下りの規制速度が 45 km/hに変更された。 |
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『余部クリスタルタワー』
地上側昇降口前の様子。 正面に、餘部駅・『空の駅』 へ向かう階段がある。 |
遺構として地上には橋脚の一部が残されている。 『空の駅』 開設記念として整備されたものである。 |
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橋梁下を流れる長谷川(はせかわ)沿いに置かれた旧橋の橋桁。 橋台とともに残されている。 尚、 新・旧橋ともに橋梁下には長谷川と国道178号が通じている。 |
『道の駅あまるべ』に隣接する鉄道グッズ店
『一滴亭』にある駅名標。 国鉄型を踏襲した造りになっている。 |
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2022年8月 撮影 |
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久谷駅
駅舎跡。 駅舎があった当時は、手前の駅舎側が1番ホーム、 対面の現在使われているホームが2番ホームとなっていた。 棒線化により、駅舎は2012年(平成24年)秋頃取り壊され、 現在はその基礎部分のみが残っている。 駅舎は構内北側にあり、 駅南西側にある集落からは、坂道を上がり構内東側の 『久谷踏切』 を 渡らないと到達できない 集落からはかなり遠回りな位置にあった。 (ただし、人道による近道は駅西側に設けられている) これは駅の立地のためで、2番ホームの向こう側は斜面となっており、 駅舎等の建物や駅前広場及び車道が建設できないことによるもの。 |
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当駅の構内踏切扱いとなっている駅東側の
『久谷踏切』。 かつての駅舎からは250m程東にある。 踏切右手(上り方向)すぐに 『桃観(とうかん)トンネル』 が口を開けている。 また、踏切を渡る道路は、兵庫県道261号赤崎久谷停車場線である。 |
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駅東側の
『久谷踏切』 前より、久谷駅方向(下り方面)を見る。 棒線化により、新たにこの部分に駐車スペ−スが設けられた。 線路沿いに駅への小径が作られており、こちらが新東口となっている。 |
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ホーム東端(餘部寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 200m程先に 『桃観(とうかん)トンネル』 が見える。 |
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駅東側の小径にてホーム方向を見る。 棒線化後に造られた新しい道であるが、街灯はない。 |
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旧1番のりば中程より、上り豊岡・京都方面を見る。 当のりばの線路(旧1番線)は、2012年(平成24年)秋頃に廃されている。 |
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駅東側のホームへの通路より、下り浜坂・鳥取方面を見る。
山間の駅であるが、東西に広い構内を有している。 |
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ホーム中程の待合所。 詳細は不明であるが、棒線化後に設置されたようだ。 |
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旧1番のりば東端(餘部寄り)から、下り浜坂・鳥取方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム西端(浜坂寄り)から、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム中程より、下り浜坂・鳥取方面を見る。 右手旧1番のりばの地面が白く見えるところが駅舎跡になる。 |
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駅西側のホームへの通路より、上り豊岡・京都方面を見る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホーム西端(浜坂寄り)から、下り浜坂・鳥取方面と西側通路を見る。 右手の旧1番ホーム端に旧構内踏切で使用されたスロープが残っている。 構内踏切は 1976年(昭和51年)10月撮影の航空写真にて確認出来る。 |
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駅西側の小径よりホーム方向を見る。 この小径は旧来よりある道で、久谷集落からの小径である。 タラコ色のキハ47が停車しているところがホームである。 |
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建植式駅名標。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駅西側の小径より久谷集落方向を見る。 街灯はなく、夜間は真っ暗な墓地の脇を歩くことになる。 |
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駅舎跡より、東側(上り方面)の貨物側線跡を見る。 貨物ホームや路盤は、廃されてから半世紀以上が経過しており、 荒れてしまっている。 |
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久谷集落側より、駅西側の駅への上り坂を見る。 山中へ入って行くようで標識もなく、とても駅へ続く道には見えない。 尚、左手のトンネル先は墓地になっており、すぐ行き止まりである。 |
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桃観トンネルは、島根県の大刈トンネル(2215m)に次ぎ、山陰本線のなかで 2番目に長い全長1992mの鉄道トンネルである。 開通当時は全長1841mであったが、1918年(大正7年)9月の大水害後、 防災用として東側に150m延長されている。 工事は鉄道院米子建設事務所により 1907年(明治40年)8月から10月まで測量、 1908年(明治41年)3月に工事開始、4年の歳月をかけ 1912年(明治45年)3月1日に開通している。 左写真の西側は最新鋭の削岩機が用いられたが、東側は手掘りで工事が進められた。 発破の失敗による落盤や、大規模な出水による難工事で27名の尊い命が 失われており、久谷駅近くの八幡神社に招魂碑が建てられている。 また、東側150m奥と西側240m奥には工事用の空気穴が設けられ、 開通後は煤煙排気口として使用され、現在も残っている。 トンネルの扁額は1910年(明治43年)9月12日、視察と激励に訪れた 当時の逓信大臣兼鉄道院総裁 後藤新平の筆によるもので 餘部側入口には 【惟徳岡小】 (すべての人がこれを喜ぶ)、 左写真の久谷側出口には 【萬方惟慶】 (この徳は少なくない) と刻まれ、明治期の貴重な遺産となっている。 達筆で良く読めないが・・・ 以上、新温泉町の広報資料、およびその他資料より。 |
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駅構内東側の 『桃観トンネル』 出口。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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